苦悩の意味
魏書釈老志に於ける仏教伝来説に就いて
信願論の発達過程
M・プルーストの植物描写について−JEAN SANTEUILからTEMPS PERDUへ
宗教的実践の課題−大行の開く世界
不滅のアーン・マレー-オーストラリアの代表的詩人-
解深密経の成立構造の研究(三)
天台智??における大乗戒の組織と止観
身体症状の心理学的な意味について−プロセス指向心理学を手がかりに−
上宮御製疏に就いて
鉢多羅山若王子釈迦院と庶民信仰
「堤中納言集」伝本考−秩父宮家蔵本と新出浄泉寺蔵本の書写年代をめぐって−
香月院と高倉学風
ホラーティウス「叙情詩集」巻四第二歌の解釈(I)
古語と現代語−「歎異抄」第七章の解釈−
安恵造唯識三十頌釈及び調伏天造唯識三十頌釈疏 訳注
歎異抄における批判的精神の展開
還元の問題
ひとはどこから大人になるのだろう−世界史の中の不思議な「13歳」に注目しつつ−
藩札整理の顛末
「情操」という用語の起源と定着過程についての考察−
八幡宇佐宮御託宣集の裏書について−大谷大学図書館所蔵本の紹介をかねて−
情報技術社会における教育メディア
吉崎時代以前に於ける「正信偈」・三帖和讃諷誦の研究
鎌倉後期の唯識宗
カントの観念論論駁
妙立慈山「答作智信女」について
キケロ「スキピオーの夢」
「カリスマ」と「プレスティージ」
柘枝仙媛伝承の原像
男らしさ・女らしさを表現した身体に対する視線の移動−アイマークを用いて−
詩教育観から見た三好達治
帰依の道、凡夫の道−上宮御製疏において
次第禅門の内方便
中観説における「絶対否定の中道」−月称における空性の問題
真宗と教育−清沢満之の「独尊子」について−
金李屏山攷
原始真宗に於ける甲斐門徒の成立
信教の自由について
ゲーテ研究−インド文学の受容と対象的詩作(I)
「ほうねんき」から「善だう記」へ−寛文の播磨掾
死んでゆく不思議・生まれてくる不思議−子どもたちにどう伝えるか−
印度大乗教学史に於ける教相判釈の展開
「教行信証」と「浄土文類聚鈔」との関連
中国仏教における一闡提思想の受容について
回向論序説
聖徳太子と憲法十七条
ことばにおける声と意味−ジャルゴンをめぐって−
高野山本系統日本霊異記小考(特に京都府立図書館蔵本について)
高野山本霊異訓釈考
マクベスの「みかけ」と「まこと」-シェークスピアの実在-
可死の神−トマス・ホッブス「リヴァイアサン」の表紙絵を読み解く−
図測撰解深密経疏の西蔵訳に就いて
十地経論における阿梨耶識と自性清浄心−地論宗心識説成立基盤への一考察−
遊行三十一祖 京畿御修行記
ホラーティウス「叙情詩集」巻四第二歌の解釈(II)
「顕浄土真実教行証文類」所引の「弁正論」諸本校訂
三心釈の展開過程−本典の成立に関する一考察
中世における「シム」の一用法
デューイ倫理学に於ける「行為」の問題
入楞伽経にあらわれる識の学説について
吉蔵の二諦義
「経験と思考」を通じての教育実践−アントレプレナーシップ育成を目指す教育−
唯識四分説に於ける若干の問題に就いて
往生要集と諸種の往生伝
霊性的自覚の日本的形成
集合意識の存在構造
親鸞の袈裟観
プラマーナ・ミーマーンサーの研究
唐代雍州仏教の変遷
鳳潭「扶桑続入総目録」について
涅槃についての一考察
アメリカ無償公教育の思想的背景
「今昔物語集」の悪人往生説話
無相文雄師の逸著
時機相応
普通教育における音楽教育−二本立て方式
梁代貴族仏教の一面
琵琶湖の付着藻類群落の発達と季節変化
清廷と仏教・特に臨済宗
インドに於ける東洋学研究
「平家」と聖たち−高野山系の説話を中心に
「皇太子聖徳奉讃」恵空書写本考
神会和尚の「壇語」と考ふべき敦煌出土本につきて
北斉文宣帝とその仏教信仰−北斉仏教の一考察(一)
「易行品」開設の意図について
仏智不思議の世界−不断煩悩得涅槃
「空」という否定
山西・平遥・汾陽・縣城調査手記
「異義者」任誓伝の思想的考察
浴仏と行像−仏教信仰の一面について
源氏物語に現れた神について
日本霊異記にあらわれた聖と勧進
アメリカにおける幼児教育思想の発達−フレーベルとハイベルトの綜合について
孔子と異相
スパルタ王クレオメネス一世とその時代
宗教と教育との史的交際
姫路城天守閣
龍樹時代におけるアーンドラの社会と仏教
シュライエルマッハーの宗教と生死の問題

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