三井寺新羅明神坐像
宗教理解の地平−ルドルフ・オットーの宗教論を中心として−
キリスト教と諸宗教−文化と風土の視点から
天理教における十柱神
禅宗と奈良時代からの「禅師」との関係について
観光の地域づくりと宗教文化資源−神奈川県江の島の事例から−
近代日本仏教史における法華=日蓮系運動の意義
中山みきと被差別民衆
ヌルシアのベネディクトゥスとアルルのカエサリウス−六世紀の修道院における宗教教育−
肯定としての「無」-禅言語の二つの次元-
田丸徳善・星川啓慈・山梨有希子著「神々の和解−21世紀の宗教間対話−」
江戸期・雲仙岳の噴火と仏僧の活動
国家神道と近代日本の宗教構造
日本戦史に現れたる宗教体験
論理の宗教性について−ヘーゲル論理学、特に始元の弁証法をめぐって−
マリノフスキーの機能概念について
初期大乗教団における塔寺の意味
日蓮教学に於ける自然と人生
学校における宗教教育の一考察-特に宗教教育の在り方について-
韓国巫俗とキリスト教の交渉について
新宗教における戒名−霊友会系諸教団を中心に−
新羅最初の伽藍興輪寺の諸問題
殉教と生命の尊重−ラビ・ユダヤ教の視点−

DASOTTARASUTRA(十上経)について
「真理の福音」におけるキリスト理解−宗教史的考察
民俗宗教としての山の神についての一考察
親鸞における救済の極限概念
普明牧牛図の深層心理学的解明
旧約と新約の問題点
葦の海伝承における分水モチーフ
馥師の勝鬘経注解
古代ギリシャの宗教に関する一考察−不死の様相について
構造主義と解釈学
アウグスティヌスにおける祈りの構造
平安鎌倉時代の高野山金剛峯寺年中行事の特質−その修験的性格
E.H.エリクソンにおける宗教的なもの
一遍聖と結縁衆について
ノアの呪い−創世記九章18-24節の伝承史的研究
R.オットーの神秘主義論における禅
カール・バルトの「ロマ書」(第1版)における「信仰」について
聖地のトポロジー−神国と浄土について
霊性の思想をめぐって
鈴木大拙氏の「正法眼蔵」批判について
日露戦争後の宗教政策と天理教−「三教会同」政策をめぐって
日系新宗教への回心−ブラジル世界救世教の場合
ガンダーラの仏教
重源と栄西−京都市・遺迎院阿弥陀如来立像への結縁をめぐって
本門三妙思想をめぐる問題−天台大師の「法華玄義」を中心として
宇宙創造神話の宗教学的解釈
宗教研究における自己理解と他者理解−現象学と解釈学の交差−
異界と知−プラトンを手がかりに−
エマニュエル・レヴィナスにおける神
親鸞における語りえぬもの
「斎部氏家?泪の研究
ハイデガーの思想と感謝−存在、思考、感謝−
仏性と尊厳−「正法眼蔵仏性」への一視角−
衣川仁著「中世寺院勢力論−悪僧と大衆の時代−」
聖地へのアクセシビリティ−宗教観光地としての神社を事例に−
カルキ神話における終末論
プラトン「イデア論」形成における「善性」の機能について
今村恵猛論
島薗進著「国家神道と日本人」
妙楽大師湛然の内薫自悟仏をめぐる問題
「私と汝」の問題-中期西田哲学に動いているもの-
武内義範著「武内義範著作集」
キリスト教の土着の構造−ロシアと日本の比較−
運慶と快慶の彫刻
佐藤弘夫著「アマテラスの変貌−中世神仏交渉史の視座−」
イエス並に同時代のラビ、ヒレル
倶舍論破我品について
共感呪術の機構
パスカルにおける自然の問題
1990年代の墓の変容とその行方−脱家現象と代替システム−
創造的進化と宗教の存在価値
ユリアヌスから見た後期ローマ帝国の「帝権論」と国家祭儀
愛宕信仰における勝軍地蔵
盂蘭盆経類の訳経史的考察
下北半島における「オシラサン」信仰について
ヴァッハ宗教学の構造分析
唐代の俗講形式の起源
社会変動と宗教
正法眼について
マラヤ華人社会の宗教
日蓮における法知識人性格と宗教性の展開
実体の神学と関係の神学
近代の修験教学
石橋智信の宗教学説
「もり供養」の構造−清水のもりをめぐって
宗教と空間−M.アルバクスの集合記憶論
ルターにおける「神の言葉」について
章安の涅槃経玄義に現れている天台教学について
万有在神論について
K.バルトのイスラエル理解
前世紀末葉のカトリック司祭像の特徴
清沢満之における哲学と宗教
ポール・ケーラスの宗教思想
新宗教の社会倫理−天理教と立正佼成会の社会福祉活動
信仰の現象学−シャンカラ派信仰現象を手がかりとして
道家思想における「王」という概念のシンボリズムについて

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