聖書の新口語改訳の疑義
21世紀における諸宗教の共存とアイデンティティの問題 討議記録(要約)
根の国の信仰とその文化的系統
謡曲における物狂(モノクルヒ)-カゲリを例に-
オットーの「神秘主義」論
カウンセリグ関係と宗教的要因
デュルケムの<社会>と<個人>の問題
洞山良价禅師の禅法と曹山本寂禅師の思想
ユングにおける象徴とヌミノーゼの問題
「注維摩」の道生説について
ペリオ本2091「勝鬘義記」巻下について
渡辺海旭の宗教思想
CHOS KYI RGYAL MTSHANによる“LAM RIM”
キリスト教の本質を求めて-石原謙博士におけるキリスト教史学の成立
「悔い改め」「懺悔」「祓い」の構造
富士谷御杖の言霊論
ある幻影の未来−フロイトと宗教
レッシングの「カルダーヌス弁護」における宗教理念
清明日の墓参
福音書のナラトロジー(物語論)
ティリッヒ「組織神学」 1〜6,
燃燈仏・仏影窟・ミスラ教
「風息のタオイスト覚鑁」
中世禅林の信仰と美術−「瑩山清規」の考察を中心として
宗教学における客観性をめぐって−岸本宗教学の批判的検討
聖の現前性−エリアーデの現代宗教論
仏教における法について
「浄霊」における霊の操作について−晴明教の事例を中心に
ヒンドゥー教の聖地と神話
祭政一致論と「国家神道」に関する一考察
利休が築く珠玉の小世界
「生む無」と「生す無」
ロシア正教における共同性の志向−初期スラヴ派の主張
『七女経』の現存写本について
F・スアレスにおける「純粋本性の状態」について
改革派認識論から何を学ぶか
世界救世教における人生問題の解釈と解決に関する教団戦略
末木文美士著「鎌倉仏教展開論」
祭の分布と祭の「意味」-御柱祭を事例とした関係試論-
仏壇・位牌信仰について−仏教的力の系譜学
堀江充著「立山信仰と立山曼荼羅-芦峅寺衆徒の勧進活動-」
何燕生著「道元と中国禅思想」
仏成道を中心とせる大乗仏教々判
事々無礙への一楷梯としての三性説
象徴としての鏡-「鏡においてみる」ということについて-
ルターの宗教改革に於ける宗教と国家との関係
出羽三山の宿坊について
宗教的態度の測定について
真宗と緩和医療-そばにいることー
盲ミコと行者
明治期啓蒙知識人とユニテリアニズム
中国仏教と七七祭
「民衆」の位置
混元集 1巻
R・オットーとイスラーム
非行少年少女と宗教教育
中国固有の宗教と陰陽思想−神観念の変遷
信教の自由に於るSEPARATIONとNEUTRALITY
鎌倉大仏殿にまつわる女性の伝説について
セイロンに於けるYAKAについて−PANTHEONを支えるもの
元暁の教学と唯識説
身体の問題
ヨーガスートラ第一章第八節をめぐって
宗教的信念の論理構造
マイスター・エックハルトとトマス・アクィナスに於けるエッセの問題
北設楽の花祭に関する試論
近代日本における宗教神秘主義の一形態−友清歓真について
ルターのパーソナリティについて
モッラー・サドラーの神秘思想における輪廻(TANASUKH)
現代沖縄社会における先祖祭祀の変容
「般若経」における天耳通について
アンセルムスにおける「神の像」
P.ティリッヒとキリスト論の問題
近代における人間の問題
太山府君祭文(地鎮祭文)のマンダラ
井上正鐵の身体観
北海道における新宗教の展開
信仰の非合理性と自然法爾
宗教共同体への新しいアプローチ
香字抄 1巻
法華経の一乗思想−声聞成仏をめぐって
古代日本人の一つの発想について
南インド・ヒンドゥー寺院をめぐる訴訟(1881〜1929)
小松美彦・土井健司編「宗教と生命倫理」
中江藤樹と神道思想
「正法眼蔵」における遍参について
聖書の贖罪精神ときよめ−新英語訳聖書の翻訳を中心として
院庄史蹟顕彰と作楽神社創建の事情−明治神道史の一側面
ジャンニ・ヴァッティモの宗教論−神の死以降の愛論の可能性−
ヤスパースの宗教批判−キリスト教の「啓示信仰」との対決−
宮田登における発想と思考のスタイル
天皇観と非戦論の相関関係−矢内原忠雄を中心にして−
宮家準著「神道と修験道−民俗宗教思想の展開−」
津軽藩における吉川神道
仏教の民間受容と「互酬性の倫理」
小林正美著「中国の道教」
小倉泰著「インド世界の空間構造−ヒンドゥー寺院のシンボリズム−」
全真教の清規
内的経験と宗教言語
戦後の氏子集団に関する宗教社会学的考察

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