隠れキリシタンの改宗
宗教と言葉-キリスト教理解を基礎として
パンネンベルクの社会倫理への一提言−秩序から変革へ
DOL PO PAが言及する肉食・飲酒を禁止する経典
書経
宗教民俗と権力関係−臼杵祇園祭を事例として−
メキシコにおける市民宗教の創造とプロテスタンティズム-革命家モイセス・サエンスの思想と実験-
タラル・アサドと西谷啓治−「宗教とは何か」という問いをめぐって−
親鸞と日蓮における悪人解放思想
新世界の悪魔−宗教と宗教研究における植民地主義の問題
都市神社の課題
宗教的回心の考察
正教会暦と奉神礼における聖書の誦読箇所について
平安時代の弥陀本願思想に関する研究
復古神道の一考察
上代祭祀と巫女
「無宗教」および諸宗教のコミュニケーション・共存
仏教伝道史上に於ける一伝道の類型
第三批判に於ける超感性的基体
世界政策に基づく社会福祉と宗教的ボランティアの提唱
宗教の個人性と社会性
<牧師夫人>のライフヒストリーにみる宗教とジェンダーの問題
SVETASVATRA UPANISAD IV-21
折口信夫の実感をめぐって
宗教史の縁起法について−諸宗教の神学に相対する視座の構築−
熊野の船霊
行基の足跡をめぐって−摂津・北河内−
アウグスティヌスにおける倫理と信仰
朝鮮の三・一独立運動と宗教
「勝鬘経義疏」と憲法十七条
施について
浅原才市研究
テンブルックのヴェーバー解釈の問題点
「阿毘曇心論」業品における三受業について
「瑜伽論」を中心とした中期大乗仏教の波羅密説の展開について
メーヌ・ド・ビランにおける原初的事実と宗教
都市祭礼における約縁集団と氏子集団
民俗、民衆宗教としてのエクス・ヴォート
真宗の浄土(真実報土)の意味−現実の人間の生き方を求めて
ライプニッツにおける「観念」について
マルティン・ブーバー素描−「出会い」を中心として
イニシエーション概念の再検討
自然現象としての「私」
「人間学」としてのドイツ・イデアリズム
箱根観音の媽祖祭り
中世吉田家の神祇服紀令
津城寛文著「日本の深層文化序説」
龍樹の描く自性観念形式プロセス−RATNAVALIを中心に
ジャイナ教の修行と生活
中世イスラーム神学におけるイエス論
臘八摂心示衆
西田哲学における行為的直観と生命
仏教研究におけるデジタル資料の共有と利用
細谷昌志著「文化の深淵としての宗教」
血、民族、神−初期マルティン・ブーバーの思想の展開とそのユダヤ教(JUDENTUM)理解の変遷−
宗像阿弥陀経石の研究
託宣の宗教現象学−鎮魂帰神を事例として
新しい共同体の形成と神社祭祀−干拓地農村の事例
「ヨブへの答え」におけるユングの神解釈解明の試み
ル・フォールにおける「預言者」
本質上より見たる神社の特性
解脱と自由の研究-解脱と涅槃 自由と平和-
宗教間対話の現在
鈴木大拙の浄土教観-受動性の問題をめぐって-
宗教史の神学
宗教の社会参加 討議記録(要約)
宗教史における近代化の問題-近代化とDENOMINATION-
国学における宗教的経験の淵源について
『論理哲学論考』における「沈黙」を巡って
旧約聖書における予言者と祭司
聖と俗の関係
反省の概念
本居宣長と日本文化の「基底音」
寺墓と墓寺
自我意識とその超克−NAGARJUNAの宗教的性格
ドゥラ・エウロポスのミトラス教史料
近世修験道史の一考察−特に社家との出入を中心に
絶対的主体について
法正寺蔵「正法眼蔵辨注」について
主客なき真如の科学
二つの業について
須弥山の構造について
「煖」法説成立における「四句法」の一考察
シュライエルマッハーの初期キリスト論−ハレ大学中退後の四年間
李通玄の教判について
鎌倉初期の法相宗の学僧良算について
ガブリエル・マルセルにおける「不安」と「苦悩」
真宗門徒の講組織について−北陸地方におけるその動態
新宗教における儀礼と日常倫理−解脱会の事例から
中国浄土教と三階教における末法思想の位置
蓮如における無常について
カントの実践理性をめぐって
マルティン・ブーバーの罪責論
オットーにおける宗教学以前
自然・経験・神性
ヘーゲルとエティンガー−連関の可能性
宗門改時代における神道宗門
アティーシャに帰される二つの「心髄摂集」について
オーロビンドの修行と生活
聖家族の足跡を辿る人々−コプト・キリスト教にみる巡礼の諸相−

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