土屋博著「経典になった宗教」
権現信仰の起こり
エックハルトにおける自由の問題
伊勢神道と旧事紀
古代中国に於ける「祭法」の基本理念考
CREDOとCOGITO
クリーヴランド美術館蔵<二河白道図>の成立について
政治的宗教とスピリチュアリズム
ルターにおける農耕的性格
中国古帝王伝説の特質について
直毘霊論争について
津軽の宗教
最初期ヘーゲルにおける人間存在の重層的構造
幕末郷学と廃仏毀釈
称名寺における伝法潅項
プラトンにおける美と救済の論理
スティグマとカリスマの弁証法
大乗仏教の起源について
明治維新における新後生の運動
YUKTIDIPIKA(Y)の写本
「情緒的一体感」と日本人の宗教
慈心相向について
真諦訳経論中の三十二大人相
ヘーゲル「精神現象学」における「欲望」について
<仏陀なき仏伝図>再考
日本における比較宗教学と宗教現象学の歩み
他者経験について
元型と認識
親鸞における願船の理解について
シェーラー倫理学における個体性と連帯性について
プラトンのエスカトロジー
キルケゴールの「心理学」について
伝統と了解
S.キルケゴールにおける「譬え話」の機能について
摩文仁の丘にみる戦死者への関わり
自動車祈祷の発生と展開
西行における月の宗教的意味
「身体行」による苦からの開放−「ヨーガ・スートラ」の「癒し」
観光地としての江の島の展開
院政期宮中祭祀の一考察−藤原忠道を中心に−
山の神信仰の諸形態と若干の考察
教団機関紙の比較研究
バシレイオスにおけるウーシア理解の深化
障害者と宗教−特に障害受容との関係性において−
石窟の仏たち
神女の乗馬と馬の鞍−沖縄の祭祀事例より−
大石紘一郎著「オウム真理教の政治学」
真宗における信心歓喜について-親鸞と才市を巡って-
常識哲学的信仰とヘーゲル
オウム真理教における悟りと解脱
ハンと韓国の宗教史
一闡提(ICCHANTIKA)とは何か−語義解明に向けての一試論−
日本・支那における子供と先祖
本邦に於ける死霊信仰の実証的研究-山形県大泉村清水モリ山をめぐって-
古代ギリシヤに於ける神と人間
苦しみの意味について-パスカルの場合-
島薗進・西平直編「宗教心理の探求」
ポリネシアのタブー
密教的行法に於ける心理と教理
キルケゴールにおける「REUE」の問題
観音信仰に関する問題−特殊功徳目の仏教的意識−
在日米軍の宗教生活-チャプレンの調査から-
インターレリジアス・エクスピアリアンスの仮説
パソコン通信を利用した富士塚調査
四日町の寺と檀家(佐渡郡真野町四日町における宗教生活)
トマス・レーク・ハリスと新井奥邃
ロシア宗教思想における神人の理念
罪について
キリスト教と「否定」の精神
超越的なるもの
六波羅密の必然的成立と社会的六波羅密
熊本敬神党についての一考察
創造と流出
ヘーゲルの神観念
橘家神道と民間信仰
ルターの礼典(SAKRAMENTE)論における「真実な現在」(REALPRASENZ)について
成就衆生浄仏国土について
キルケゴールにおける哲学と神学の問題
聖書研究における文芸学的方法
自由思想(リベルティナージュ)の終焉
碑銘から見た義天の思想について
タミル仏教叙事詩「マニメーハライ」について 1,3
HEVAJRA-CYCLEに於けるPITHA説
支謙訳書に見られる語法と撰集百縁経
宗教哲学的ヘーゲル試論
ユングの思想と宗教
日本における仏教研究の百年
宗教的選択について
宗教的情操についての再考察
「愚迷発心集」について−貞慶等の信仰請文説
フッサールと唯識思想
「ソクラテスの弁明」に於ける不死性
求法僧の往来
キルケゴールの著作方法とキリスト理解
聖地のスペクタクル
A.ショーペンハウアーにおける「不死性」の問題
戦前日本の調査研究機関と宗教人類学−久野芳隆の場合−
仏陀の永遠回帰の神話
ウィリアム・ジョーンズのインド宗教研究の展開と意義
四国遍路の今日的展開−二極化する巡礼実践−

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