中国語学的観点よりみた仏教語彙解説
新仏教漢文の読み方
密教研究文献目録(インド・チベット・中国・日本編)
菩提心論
理趣経
神秘と瞑想−覚鑁著「五輪九字秘釈」入門
弁顕密二教論講義
勤行と修観の仕方
岳闍梨雪謗書 1巻
傷寒論講義
真言陀羅尼(悉曇講義)
梵字実習講義
チベット語講義
サンスクリット語基礎講座
仏教概論(チベット仏教史序説)
日本の密教美術の展開−密教美術
光明真言美術−密教美術(日本)
密教美術の本質とその周辺−密教美術(インド)
仏教とヨーガ
仏教概論(日本)
最澄と空海−密教美術
金剛界念誦次第 中院流(国訳聖教体系)
密教図像(信仰と表現 2)−密教美術(日本)
真言密教を語る
両界曼荼羅−密教美術(日本)
日本における巡礼構造の研究
先生の更なる御長寿を願う
空海伝に関する考古学的発掘・二題
少年時代の空海−仏道を志したのはいつか その2−
入唐前の空海と「金剛頂経」
古記録等の「東寺長者」称号について
私の密教観−「還源」が意味するもの−
空海と秦氏−高野明神と狩場明神の分別−
藩政と武士の教学
南山進流魚山?P芥集における胎蔵界「礼仏」の点譜について
田中先生との出会い
空海の著作にみられる「身病」と「心病」
「空海と高野山」展を訪れて
「円澄和上受法啓状」の研究 1−本文校訂−
司馬遼太郎の画いた「空海像」−『空海の風景』の中から−
プトゥンが伝承した「真実摂経」所説の曼荼羅−四大品の大曼荼羅を中心に−
空海の入唐と請来品
解脱観の変遷に関する一考察
日本人の死生観に関する一考察−日本民俗の観点から−
田中千秋先生-迷霧のなかのともしび如く
インド密教における不動成就法について−ヴァナラトナ作「不動現観」を中心として−
二十八宿の日の配当
「『方田郷』地名の木簡発見」後日譚
己が信仰修行の歩みを顧みて
高野山の古瓦 1
弘法大師御請来の十二天
私の信仰体験追憶記
「我先知汝来」考−済暹の解釈をめぐって−
「延命地蔵経」の研究-「延命地蔵経」の注釈書とその分科-
高野山の「世界遺産」登録に事寄せて今、ヒトの
澄月大師詩集 3巻
弘法大師空海の歩んだ道−「古都コース」を追体験する−
「大日経疏伝授鈔」にみる宥快の直情的一面
体験に基づく手記
二十八宿小攷
「原人論」に触発されて
空海をめぐる人々・人名索引
田中千秋先生の退職と喜寿を祝して
ブータンにおける密教の興隆
犬も喰わぬ話-温もりに包まれて30余年-
大日経の「悉地随意生」の文について
臨終用意のこと
白山における自然信仰とその意義
高野山への想い
布薩儀則の問題
唐青龍寺の遺跡とその発掘状況
「密教瞑想法」を提唱する
祖父と私の大師信仰
わがものと思えば軽し傘の雪
懐かしの日々
越智・大木両先生の退職に思う
雑感−嵯峨天皇の人柄−
徒歩遍路
書学原説−木本南邨先生の教え−
金剛三昧院蔵「仏舎利宝珠同躰事」の研究−翻刻と書誌的概要−
目無し経「般若理趣経」の成立をめぐって
日本文化と福祉文化
最澄の得度と「延暦二十四年官符」−空海の得度をめぐって−
斎藤茂吉と山形の風土
不空訳『理趣経』「獲得如来及執金剛位」についての雑感
「遺告二十五ヶ条」と「空海僧都伝」の項目対照表
弘法大師の四恩思想の再検討
空海入唐の周辺−留学僧選任時期をめぐって−
「即身成仏義」における持明悉地と法仏悉地について
高野山の山頂に登るに険阻な坂道なし-真然大徳-
「御遺告」に見る東寺長者の称について
「声字実相義」について
「生かせ いのち」の理念は教育現場にこそ必要
情報処理から情報発信へ−高野山大学での情報教育−
良きめぐりあい
三千大千世界の構造−『倶舎論』「世間品」における風輪の大きさを中心に−
プトゥンの『曼荼羅を明らかならしめる太陽の光』に説かれる「大日経」の身曼荼羅について
ボロブドゥールの五仏思想研究
SARVARTHASIDDHAとSARVARTHASIDDHIについて
現図曼荼羅の図像比較−デジタル画像処理による系統追究−

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