禅宗頌古聯珠通集に就て
百済王氏交野移住に関する一考察
武周朝における三省六部の人的構成 -玄宗開元年間との比較を中心として-
「日本霊異記」中巻第八について
大東禅教考 1巻
初期真宗に於ける時衆の投影
親鸞聖人関東教化の一齣
唐宋時代于?t史概説
三尾氏の系譜と伝承
モンゴル時代初期の河西・山西地方−右翼ウルスの分地成立をめぐって−
吉野時代に於ける摂津四天王寺
敦煌の戒牒について
真宗教団における礼拝対象の推移
嫁取婚の成立時期について−武家の場合−
中国清代における寡婦救援事業
肥後真宗史考-帰参・改派・直末出現の周辺
将軍足利義教期の諸大名−その幕政参与についての一考察−
大燈国師の性格とその思想
則天武后による皇族粛清の一例
境目地域の領主連合−盟主・毛利元就の国家づくり−
日本近現代史の中の企業と宗教-企教分離をめぐって
九世紀の地方における定額寺・別院の指定について
戦後思想史研究に関する一考察
光明禅師施入経典とその扉絵 -元白雲宗版大蔵経の一考察
近世真宗における神祇への対応
狛弁才天に対する信仰 -中・近世における福神信仰とその霊場に関する一例-
南満州鉄道株式会社大連図書館旧蔵「大谷本」淵源 上下
大谷探検隊と本派本願寺−欧州留学随行者と第一次大谷探検隊参加隊員を中心として−
往来物に於ける宗教的教材に就いて
近畿地方の後・晩期の土偶 -橿原遺跡を中心にして
「日本ファシズム国家論」の再考察と展望−「革命」・「強制的同質化」概念を中核にすえて−
中国近現代史と中国宋史研究の主潮−?ケ広銘教授の王安石研究を中心に−
中江兆民における「三酔人経綸問答」の位相 下
北宋監司をめぐって
子日目利箒小考
チンカイ城と長春真人アルタイ越えの道−2004年現地調査報告をかねて−
日本型「国民国家」の形成と神道の関係について
道慈における仏法と王法−その日本仏教史上の位置−
梁京寺記に就いて
?H衍の思想に就て
インド仏教史とナーガ(竜)
桓武朝における百済王氏
天智朝の蘇我氏
仏教慈善病院「早稲田病院」と西島覚了−
文治元年の京都の地震に現れたる時代思想
中心飾のある格狭間と石造美術
モンゴル西部におけるチンギス・カンの軍事拠点−2001年チンカイ屯田調査報告をかねて−
故林安孝君を憶ふ
永嘉証道歌の年代及びその作者の一考察 -西天諸祖説考の一節
親鸞系図の史料批判
高昌仏教の研究
唐代西州人士の精神生活
中世後期における村落景観の復原 -近江国「注進木津圧引田帳」を中心として-
三骨一廟式古墳の一考察 -斉明天皇陵に関連して
近世本願寺寺内町の構造
深草遺跡出土木製鍬の一例について
つめの遊び考
山西省塔寺石窟北壁の北魏造像と銘文
師子小考
山城国男山における古代「神奈備」信仰
法華寺阿弥陀浄土院とその本尊について
脱俗境について
古代的天皇観の廃絶と内宴・菊花宴
古代中国の都城と経済
平安朝における文章の経国的性格の変色
物部についての一考察 -律令制下の史料を通じて
古墳時代における「地域」の範囲−紀ノ川下流域の検討から−
称徳・道鏡政権下における百済王氏
長岡京祭祀の一側面
北宋時代の公度制と祠部牒
律令体制の再編 -班田農民の階層分解と私寺建立
最澄の教団形成と世俗制度
障害者差別の歴史的背景 -普通宗教としての仏教とのかかわりの中で
藤原道長の浄妙寺創建をめぐって
THE ONE HUNDRED AND ONE BEST SONGS
「日本霊異記」の成立過程 -説話伝承者の問題
幕末本願寺教団の護法思想の性格 -近代本願寺教団形成の思想前提として-
平田篤胤と民衆の接点 -祖先崇拝の世界観
蟹満寺縁起と狛(高麗)氏
貞慶の観音信仰と覚真
道慈伝の問題点
太康貢使以前の中国・ローマ帝国間交通
如意寺跡の庭園遺跡
遠飛鳥と近飛鳥と長谷と
唐律疏議における課役の用語例
日中戦争下の新聞 -「世論」形成過程を中心に
俊乗房重源上人と宋文化
漢代の弘農郡
親鸞の吉水入室の記事について
本多利明の経済思想小論 -特に重商主義論を中心として
仏教思想史における親鸞の無我伝承 -仏教における無我伝承と有我伝承
宗鑑「釈門正統」の成立
織田政権の農民支配
沮渠氏と仏教について
鎌倉大仏の造立
僧尼令の先行法としての道僧格
薩藩の真宗禁制と本願寺門徒
弓月君の伝承
上原芳太郎と本派本願寺
ある山村の社会と宗教 -奥美濃徳山村

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