香港のミイラ信仰−沙田万仏寺月渓心円のミイラの紹介
「白鹿洞書院掲示」と江戸儒学
新井白石「同文通考」の成立
横井小楠に関する一考察
井上哲次郎ノート−漢学三部作を中心にして
三善清行「革命堪文」所引の緯書暦運説
日本文化の中の道教−泰山府君信仰を中心に−
近世の修験道書と陰陽道
吉田文庫本「六甲占抄」について
天文書「三家簿読」について
中世禅宗と陰陽道
大日房能忍と菩提達磨
薬食一如と道元禅師の食事思想について
憶良文学に於ける仏教思想の位相
美感
程??の思想の基本構造
呉澄「道徳真経注」考
禅譲と受命−緯書における夏禹の受命神話
両晋南北朝より隋に至る図讖を禁絶する歴史の真相
十二神将について
馬王堆帛書<刑徳>試探
「楚辞」九章における橘頌篇の意味するものについて
漢代の詩における「門」について
「李?・百廿詠」における桃詩についての一考察
陶淵明「読山海経」其四について
五・七言絶句の平仄式とリズム
杜甫の詩に詠じられた星と月
忘憂堂敦再祐の文学中に現れた義の精神を論ず
新増石蔵本「目連救母変文」断巻に見る唐代口語数則
柳永の詠物詞に見える創作姿勢について
「東方朔置文」研究に関する一提言
雑誌「莽原」をめぐる高長虹の詩集「−へ」を読み解くために−
儒・道融合の女訓書、曹大家「女誡」とその周辺試論
仏訳唐詩集に見られる「詩経」観−ヨーロッパに於ける漢詩の受容
鮑照籍貫考
新出土漢簡「急就篇」考
道教の倫理道徳思想
木曽義仲−もう一人の裏の英雄−
梅原猛と文学創造−捨て子意識
日本美術に流れるアニミズム
浮世絵春画の情念−鈴木春信「風流坐鋪八景」をめぐって
北へ/北からの比較民俗学への誘い−
「日本らしさ」の存在論的基礎
「再生する魂」−自然性から生まれた神
近代産業と「無理」
日本研究のキーワードとしてのアイヌ
森と文明の旅
笑い、笑いの哲学、笑う哲学−「大きな笑い」論のために
文化論というパラダイム
時代の伸び縮み
儒家の「三才」と「老子」の「四大」
讀易私記続
許由攷
「尚書大伝」初探
「白虎通義」の倫理体系
中国古代における時空と存在−荀子・荘子、そして荘子の後学たちの存在世界−
呂氏春秋小考
後漢初期の春秋学について
王弼の「無」及び「道」の論理
魏晋の改制論と正統論
「斎民要術」の求めた味
ものとはなにか
白居易の友人達−その人となり−
陸賈「新語」引書考
日・中各時代に於ける〈史記〉受容のあり方を検証す
SHORT REMARKS ON THE COSMOLOGICAL-PSYCHOLOGICAL-ETHICAL MEANING OF THE FIVE AGENTS(WUXING)THEORY
イスラム・アフマディーヤのイエス・キリスト論
論〈詩経〉的神話学价値
インド思想における多元論
量詞“個”について
MIYA SHISSAI AND THE PHILOSOPHY OF THE SHISHI
オランダにおける東洋学の歴史的研究
漢語結果補語式的紀元再探討
司馬遷と太初改暦
新しい認識論としての記号論
「三民主義」「民生」定義の断句法について
人道の原初形態とその展開
別の思考
救世観音をめぐって−和辻哲郎と梅原猛
万葉集における自然と人間
仏教の現代的意義
「死者の書」と「身毒丸」−血縁脱出の物語
「ひとつのいのち」考−宮沢賢治の「原体剣舞連」をめぐって
底を抜かれた人面装飾付土器
王妃と馬の交接−おしら様をめぐって
5・15事件翌日
論孟における合理主義的自然観
論文 現代社会における自由の状況 補足
呂氏春秋における礼楽思想
「史記」老子伝の形成−後半部を中心として−
論「孝経」
黄帝の原初的性格−黄帝=太陽神説の批判−
陳奐の経学思想
荀子・人生論の周辺
休静の「三学観について」
李炳憲の孔子運動−康有為に師事した朝鮮の儒者
聖経に見られる耶蘇基督的贖罪と同在についての一考察−聖経公会在香港印発(1985年)を中心として−
王充の頌漢論
漢末魏初における道徳論−徐幹と王弼の所論をめぐって
曽鞏と麻姑に顔色を妬まるるに似たり

成田山仏教図書館蔵書目録総合リンク集へ戻る
成田山仏教図書館トップページへ戻る