藤原京に関する論文抄
四天王思想の起源と印度の四天王
仏教々理史上より見たる四天王の一考察
奈良時代の四天王像に就いて
法隆寺金堂四天王の銘文について
法隆寺金堂坐薬師・釈迦・弥陀三尊光背銘文考
天寿国曼荼羅銘文考
法隆寺の金石文に関する二三の問題
法隆寺金堂仏像の銘文に就いて
法王帝説上に顕はれたる法隆寺
日本紀に見ゆる法隆寺
法隆寺金石文集
法隆寺大講堂の平面に就いて
法隆寺蓮華図屏風について
瑜祇塔私考
法隆寺と播磨鵤荘に就いて
法隆寺金堂四天王像の銘文に関する疑
関野貞博士略年譜
法隆寺に関する関野先生の業績
関野先生と大和の古社寺
朝鮮に於ける関野博士の偉業
関野先生と満州との関係
故関野博士と朝鮮満州
関野先生と満州 特に高句麗壁画古墳
関野先生と満州古建築学
関野先生御業績の思ひ出
関野博士と私
弘仁之諸仏像 特に印象深き二,三の仏像に就て
弘仁時代の仏像彫刻の分布
弘仁彫刻の様式に就きて
弘法大師の御遺蹟
弘仁時代に於ける文学
平安朝の仏教と弘法大師
夢殿と日本仏教
弘仁時代の絵画
弘法大師御筆の仁王経五方曼荼羅に就いて
国史に於ける法隆寺の地位
法輪寺の建立に関する疑問
法隆寺再建非再建論争の推移
『法隆寺論争』我観
法隆寺再検討の考古学的資料
法隆寺建立年代論の再吟味
法隆寺流記資財帳の研究
法隆寺推古天皇十五年焼失説の疑
法隆寺建立年代論文献目録
法隆寺再建非再建論の回顧
推古時代の朝服制定に就て
法隆寺草創時代に於ける日支交渉
法隆寺学志の研究 聖徳太子の像類三宝の識見と信仰に就て
法隆寺東院の香水堂について
法隆寺金堂所在銘文私攷
金剛界大曼荼羅図 1巻
日本塔婆表 付朝鮮古塔婆一覧表
雲崗・龍門・天龍山石窟塔婆考
塔婆心礎の分類に就て
百万塔陀羅尼印造の思想上の背景
我国に於ける塔形の種類と其の系統
王朝時代の造塔思想
支那六朝の石窟寺と法隆寺の塔
法隆寺五重塔の高さに就いて
支那仏塔建築の様式と其変遷に就て
法隆寺五重塔の実状と一部復原的考察
仏教々理史上より見たる塔婆
飛鳥奈良両時代の塔婆と造塔思想
サンチーの諸塔とバルハットの塔婆
印度に於ける仏教以前の塔と其以後の塔
我が国に於ける卒塔婆攷
阿育王塔と迦ニ色迦王塔
朝鮮塔婆の様式と変遷
日本塔婆の様式と其変遷に就いて
弘仁時代に於ける各種建築の様式
伝教弘法二大師の教育思想
平安前期建築の特異性
弘仁時代の文化
弘法大師の時代意識に就ての考察
観念法門 観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門
壁画浄土変相と浄土教の将来
白鳳時代の国文学
白鳳時代の吉野・葛城
白鳳時代に於ける浄土信仰に就いて
聖徳太子と日本精神論
夢殿と王法即仏法思想
経律戒相布薩軌儀 1巻
聖徳太子の道後温泉行啓に就いて
聖徳太子と神道思想に就いて
聖徳太子寺塔建立の根本精神に就いて
聖徳太子唐本御影
太子時代の造塔の根本意義に就いて
聖徳太子と祖神崇敬の信仰
聖徳太子と片岡山とに就いて
『法起寺塔婆露盤銘文考』の筆者として
聖徳太子磯長御廟の様式に関する一考察
廣隆寺の草創と経営
法隆寺保存の根本問題と其防火設備に就て
達磨寺の彫刻に就て
聖徳太子立像に就いて
飛鳥時代に於ける四十六所寺案
伝説の太子道に就いて
立太子摂政と四天王寺建立に就いての雑考
太子殺生戒の遺蹟戒長寺に就て

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