戦国期在地領主の存在形態 —大名浅井−国人今井−土豪井戸村—
美濃斎藤氏の盛衰
戦国大名朝倉氏の領国支配と名体制
戦国朝倉氏の在地支配の特質
観音寺城の縄張
観音寺城の城下町 —そのプラン想定への手懸り—
復原された城下町 —朝倉氏の一乗谷—
生物学篇
戦国大名の権力構造 —遠州蒲御厨を中心として—
戦国大名領における所領および家臣団編成の展開—後北条領国の場合—
後小松天皇 義満に従順な帝
戦国法形成過程の一考察 —非分国法系大名法について—
戦国法の展開
戦国大名研究の問題点
奥州探題に関する二、三の論点
大名権力の形成
東北大名の成立 —伊達氏における知行制の成立—
伊達領に於ける段銭徴収について
戦国大名下における買地安堵制 —永正〜天文期の伊達氏について—
戦国大名下の守護職と段銭 —永正〜天文期の伊達氏について—
塵芥集の原本について —新発見の古写本の紹介—
北奥大名領成立過程の一断面 —比内浅利氏を中心とする考察—
北羽戦国大名の趨勢 —その成立と家臣団—
大江氏の支配構造に関する一考察
戦国大名会津蘆名氏
在家と村落 —山形県内に於て見られる—
中世村落の復原的一考察
奥羽に於ける近世大名領成立の一過程-最上義光と伊達政宗-
天正十八年の奥羽仕置令について
中世の関東
東国における惣領制の解体過程
東国における十五世紀後半の内乱の意義
化学篇
長慶天皇 徹底抗戦を主張
後亀山天皇 両朝合体後の出奔
宗良親王 勇猛果敢な歌人皇子
今川了俊 九州を制覇した名将の多才
津軽安藤一族 蝦夷をめぐる南北両朝の争い
奥州相馬一族 北畠軍との攻防
小山一族 滅び去った関東の名家
小笠原一族 信濃支配への野望
土岐一族 青野原の合戦
近江佐々木一族 京極氏の明と六角氏の暗
赤松一族 白旗城の攻防
大内一族 惣領争奪をめぐる内紛
河野一族 古代豪族の系譜をひく守護家
菊池一族 九州南朝の雄
少弐一族 「大宰少弐」に固執した名家
大友一族 豊後守護の両統迭立
島津一族 長寿の名将貞久の遺産
大名領国制の史的位置 —中世−近世移行期把握のための覚書—
戦国大名権力の構造に関する一試論
統一政権論の歴史的前提 —その整理・ノート—
室町・戦国時代の階級構成 —特に「地主」を中心に—
室町末・戦国初期の権力と農民
甲賀郡山中氏と「郡中惣」 —小領主の性格規定のために—
中世末期の在地徳政
戦国期の権力と諸階層の動向 —「百姓」の地位をめぐって—
度会家行 伊勢外宮神主の南朝支援
北畠親房 南朝を支えた元老の思想
後村上天皇 京都奪還を夢みた遍歴の帝
懐良親王 宿願果たせぬ征西将軍
楠木正行と正儀 徹底抗戦から和平工作へ
足利義詮 二代将軍の政治力
足利基氏 鎌倉府の基礎を築く
足利直冬 観応の擾乱を生きる
畠山国清 尊氏を勝利させた裏切りの代償
斯波高経 浮沈をきわめた名門惣領の生涯
桃井直常 直義党の中心的武将
上杉憲顕 鎌倉公方基氏との連携
佐々木(京極)道誉 時代を体現した婆娑羅大名
上杉憲春 関東管領の自殺
山名氏清 明徳の乱に死す
足利義満 公武に君臨する日本国王
細川頼之 康暦の政変
斯波義将 幕政安定の功労者
二条良基 大樹を扶持する人
足利氏満 鎌倉府の二つの難題
畠山基国 義満に登用されて管領に
頓阿 和歌を通した足利氏との親交
義堂周信 将軍の帰依をうけた禅僧
観阿弥と世阿弥 能楽の創始者
北畠顕能 正平の一統
北条高時と長崎高資 最後の得宗と内管領
金沢貞顕 わずか十日の執権職
北条仲時と時益 六波羅探題の滅亡
西園寺公宗 建武政府転覆計画
北条時行 中先代の乱
足利尊氏 生涯四度の決断
阿野廉子 権謀をめぐらす後醍醐の寵妃
楠木正成 時勢を見抜いた兵法家
名和長年 商人的武将の忠節
千草忠顕 建武新政を謳歌した公家
新田義貞 鎌倉攻めの名将
結城宗広と親光 「公家の御宝」と「三木一草」
伊達行朝 奥州南朝の柱石
児島高徳 後醍醐奪還を図った謎の忠臣
武士の衣食住 和風への過渡期
足利直義 副将軍の政治理念
上杉清子 尊氏・直義兄弟の母

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