鎌倉遺文 古文書編 41 元弘2,3年
「六十巻遺文」編纂始末(3)
鎌倉遺文 索引編 1〜4 文治元年〜元弘4年
鎌倉遺文 古文書編補遺 1 文治元年〜建暦3年(1185〜1213)
南北朝遺文 中国四国編 1〜5 建武元年〜弘和2・永徳2年
「南北朝」を問う
安芸国内藤氏と虎関師錬
「中国」という地域名
周防大内氏の石見国迩摩郡分郡知行
足利直冬と中国地方
音楽篇 洋楽
但馬の守護と文永・弘安の役
三河国小野田庄のこと
中世の「畠」と「畑」−焼畑の位置を考えるために−
自殺未遂
島津荘薩摩方伊作荘、日置北郷における下地中分について
中世の「校正」符号
日記に貼り継がれた文書
足利義氏と鑁阿寺
「御霊文書」考
奈良時代以前の解
「鎌倉遺文」と律令
紀伊国荒河荘悪党一件文書
中世の子供の養育と主人権
「隠商人」の出現
津長と津沙汰人・津刀禰
ゆがんだ鏡
洛中番匠のこと
鮎鮨と悪党
肥前国椅寺の鐘と千葉氏
十三世紀総括
壬生家文書の特異な一面
中世村落における縁と族縁
十四世紀展望
名を憚ること
「下向」か「近夫」か
大和西大寺蔵騎獅子文殊菩薩像胎内経及び胎内文書
「墓」・「墓所」のイメージ
貞永式目の日付と仮名式目
「備忘録抄」所収の鎌倉期の文書
新たに紹介された「別結解」史料
尊性法親王書状
実朝と長明
大和奈良坂非人と京都清水坂非人
節酒・禁酒
金石文などにおける「緑友」について
飛行三鈷高野山に還る
菅政友文庫の中の古文書
金剛福寺−文書と寺領−
第十一巻の校正を了えて
施無畏寺にて
庄家の一揆の前史−闘争主体の形成−
胎内文書(1)〜(4)
源頼朝の八万四千基造塔と進美寺
高野山文書のことなど
蒙古襲来と関東御公事
日向国図田帳の性格
「永青文庫」所蔵の鎌倉時代の古文書
縁者境界
書陵部所蔵「八幡宮関係文書」に見える豊後国石垣別符(弁分)と高↓
北条氏と後北条氏
兼仲卿記裏文書(1)〜(7)
中世律僧に関する一視点−叡尊を中心に−
長明入道、関東下向について
伊東律師の最後
鎌倉将軍と平將門
銀の猫
軍中、天子の詔を聞かず
三者のまごころ
箱入娘
鎌倉遺文 古文書編 1〜38 文治元年〜嘉暦2年
鎌倉遺文の首途を祝う
鎌倉遺文の発刊を祝して
源頼朝の文書三通をめぐって
鎌倉遺文第一巻の発刊の由来
能のなかの古文書
関東裁許状の紙継目裏判
最後の頼朝書状
気になる文書
負い目
加地子について
紙背文書について
第三巻編集覚書
正文と案文
正応元年の追加法
九州の中世文書
大衆の動員と戦略
「惣官」について
南廷壹廷
厳島神社宝庫の未紹介史料について
小貴族の開発領主小槻隆職
慈悲尾山寺と慈悲尾寺
仏師弁忠と塩小路櫛笥の地
「家」の成立と女性−「今昔物語集」の説話から
平安京庶民信仰の場
中世農民の四季
巡礼の道・民衆の旅−熊野路の風景
使いと民衆
虎・鬼が島と日本海海域史
第二次大戦と日本

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