生・老・病・死の周辺
真宗教学の世俗化を考える
冬安居と私
仏に成る教え
ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし
宗祖における本師の尊称について
真宗信心における政治の問題−とくに親鸞における国王不礼の思想をめぐって−
仏教平和思想の意義と展望
われわれは平和を語りうるか−憲法第九条をめぐって−
平和への提言−一仏教徒として−
浄土真宗の戦争責任と現在の課題
「真宗平和学」構築への序説
平和論への入射角
真宗者の宗教行と平和へのアプローチ
アメリカ浄土宗教者の平和に対する態度−三つの努力−
選取法然選捨聖徳太子−私にとっての真宗と反戦−
悲願の船
修道院建設に挺身する
京都修道院を法灯の場としよう
殴る者によって実証される信念
仏は肥え給う
有無相通
唯
聞法について
信仰は人間の発起にあらず
帰命のこころ
国土は荘厳されてある
山中浄土観−日本人の宗教意識をよみとく鍵−
現生正定聚の思想から現代の課題にこたえる
現代と救い
親鸞聖人の往生浄土の思想−生と死を超えた世界へ往く−
キリスト教における「神の国」の思想−来たりつつあるものとしての
親鸞聖人の浄土観−二つの側面−
神の国が指向するもの
親鸞聖人の浄土的世界観
時の流れを超える
阿弥陀仏と浄土の起源
現代における如来と浄土の意味−知的な見方と情的な見方−
親鸞聖人の仏身仏土観−「真仏土観」を中心に−
六字名号の特性−インドにおける阿弥陀仏像から−
浄土は真如法性・一味平等なる世界
『観経』真身観の阿弥陀仏
雑記
真実なる言葉「南無阿弥陀仏」
どん底の召喚
個性の宗教
唯一仏名を専念せん
祖聖と往けば
自分たちの事業
宗教人
扉は放つたれたり
「人」清沢満之先生
改造の真理
愛か征服か
心仏及衆生是三無差別
聞其名号
南無阿弥陀仏のすがた
「教行信証」の核心
衆生自覚に光あり
信に教学なし
生活日抄 昭和4〜7年
深広無涯底
報恩生活の意義
仏の考察
「阿弥陀経」に因縁して
至心帰命不可思議尊
徹底せる私的生活
仏
高光大船 その生涯と思想 上下
明朗なる不可思議界
帰依三宝
執事名号のこころ
利益功徳を論ず
無善造悪なればこそ救わる
生活日抄 昭和8〜19年
日月闇を晴らさんと欲せざれども闇自ら晴る
生死を超える者 娘たちに与う
願いの中の私
本当の出会い
病床からの文−歌に托して−
自然の道理
如来さまよりお念仏をいただいた
蓮如上人とお歌
なぜいま念仏か−呪縛からの解放を求めて−
母に導かれて
浄土真宗の弱点
親鸞の願い
社会と宗教
只今布教の勉強中
浄土真宗と倫理
共感の誓願
都市寺院の現況
歎異抄と私
六字釈の一考察−南無を中心として−
往生浄土の意義について
私が私となって蘇っていく世界
「葬儀」が「仏事」になるために
法蔵菩薩の眼
生命の視点
「非僧非俗」ということ
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