転換期としての佐渡-台密批判との関連において-
「開目抄」の「二乗、一闡提」という表現をめぐって
日蓮教学における受難と滅罪
「金綱集」第三方等之事
直弟による日蓮聖人の尊称
重須談所の教育史的考察
古版の身延山図
嘯月「科註妙法蓮華経鈔」引載和歌考
近世大名の身延山参詣-伊予西条松平家の信仰と参詣形態を中心に-
声明と教化
近代における在家日蓮主義運動の一考察-小林一郎と山田三良を中心に-
宮沢賢治のマンダラ世界-その文学と人生における表現-
備忘漫録-明治3-
天台大師智??と湛然の思考
吐蕃時代のボン教学派について
アティシャの入蔵とガリのチベット仏教
東魏武定四年白玉菩薩立像
房山雷洞石経攷
売茶翁月海の三教思想
空海の対象僧としての最澄観
現代人の自殺と仏教の自殺観
現代観音説話考-イスカンダルのスターシャに寄せて
日蓮における「えらび」の思想
日蓮における日本史の知識と認識-鎌倉在住期の場合-
観心本尊抄における「本時」考
日蓮上人の「身延霊山」考-四山をめぐって
日蓮上人における一念三千名目出拠について
日蓮宗の三十番神
甲州における神道と日蓮宗との接触
「瑜伽論」摂決択分における五事・三性説(続編)
履善の信願観
西北インドの貨幣に現れた宗教・文化の融合
「大乗涅槃経」にあらわれた教団の危機
法華経寿量品如来秘密神通之力考
仏の教化-三仏国の弁-
わが国説話集に見る舌不焼読誦から髑髏読誦への推移-中国の仏教説話を通して
「華厳経」「法界品」における善知識について
道綽の聖浄二門判の根基-火宅と六道-
太子仏教における教化と実践の特質
無三宝処への道
法然上人の教化-時代社会に関わる真宗仏教の原理を考える-
求道の歴程-真宗の一門徒としての開法蔵の歩み-
他力回向の教学
蓮如上人の行化
浄土荘厳の現実的意義-時代社会に関わる真宗仏教の原理を考える-
真宗中興の花びら-蓮如上人と三道さん-
蓮如上人における教化の旗幟-後生の一大事-
蓮如と伝道
「蓮如」の世俗化と真宗門徒
アメリカのデス・エデュケーション事情
福祉における人間と仏教
季節風 -農村雑記-
聞の宗教
法華文句の有する独創性
智??教学における塵沙惑の研究
「法相宗」という宗名の再検討
唯識思想の先駆者
唯識説の種子義における恒随転と刹那滅
唯識三類境義の解釈に関する問題-慧沼の「唯識了義灯」を中心として-
「摂大乗論」の法身説についての慧沼の見解
異熟論考-教体との関係について-
法隆寺蔵・李?ヨ撰「唐故白馬寺主翻訳恵沼神塔碑」の伝来と善珠の書写について
仏道学
修道創意
テーラワーダ仏教における教化に関する種々相-タイの仏教を中心にして-
人類普遍の法と仏の教化-方法論的序説-
釈尊の在家者教化についての所伝
浄土教典にあらわれた「教化」と「仏道」
ゴータマ・ブッダの教化-ヒンドゥー教の思想家シャンカラとの比較について-
極楽(SUKHAVATI)における阿弥陀仏の教化
仏教王ジャヤヴァルマン七世
世親の「浄土論」の「広」「略」について
「ミリンダハー」(ミリンダ王の問い)における無我説について
「示教利喜」の意義-特に釈尊の説法教化において-
露珠閣叢書(形勢新聞)-明治2-
学仏道における聞思修の体系
タイにおける中国系大乗仏教寺院の現状と課題
弘法大師空海の仏塔信仰
華厳縁起観の展開-華厳と唯識の接点-
敦煌仏教の周辺-「阿毘達磨大毘婆沙論雑抄」をめぐって-
実我否定にともなう行為の主体の問題-「倶舎論」破我品の所説を中心にして
恩-論理的アプローチ 2-親鸞を中心として-
仏教・キリスト教と宗教-西谷宗教哲学に学びつつ-
道昭における菩薩戒の受容
不空門下の念誦僧と翻訳僧について
道宣の律学の研究
密教における十住心の研究
三解脱門の衆生利益
EXPLORING THE LIMITS OF BUDDHIST THOUGHT:THE CASE OF THERESA ANN CAMPO PERSON
仏教終末論ノート-「世記経」と「倶舎論」
我(ATTAN,ATMAN)の考察
僧・誦蓮-近世後期の名僧の和歌-
中国唯識の研究動向と「成唯識論」
彭州知玄攷-中国法相宗史の一断面-
円成実性の非と是について
「真理」に関する一考察-道理から真理へ-
真宗大行論-第十七願の念仏についての疑問
真実と方便の関係-「教行信証」の「化身土巻」を中心に-
親鸞思想における「信」の研究 1-「信巻」における「如来と衆生」-
西山義事相釈の特色について-善導「観経疏」釈名門釈を一例として-

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