成徳忌に恩師を憶う−巨海師と満之師とのかかわりを中心として−
初期仏教における正法護持上の社会性とその実践
初期中国仏教における往生
聖徳太子の政治に現われた仏教思想
鎌倉仏教における末法無戒の実践的意義
真仮批判の実践的展開
真宗教化の内実
仏教と社会福祉−社会福祉における主体的契機としての慈悲−
スタグフレーションという経済現象の原因として挙げられる(社会的)統合を問う
梵文「無量寿経」における諸仏と衆生の呼応-特に称名と聞名に関して-
選択集要義
衆生と仏性の実存論的構造 上中下
天理図書館蔵加賀掾正本 古浄瑠璃「源海上人」について
法蔵「菩薩」の表現-続・阿弥陀仏因位と果位の相即性-
ヨーガ註解 1,
金子・正親両先生の出遇い-その追憶と宗学-
教行信証における化身土末巻の位置
真と仮、真と偽の分界
「方便」の義意
宗祖の神祇観
化身土巻における天神地祇−特に大集経月蔵分との比較交渉を中心として−
「教行信証」にあらわれた「魔」の意味
鬼神の考察-「化身土末巻」引用経典を中心にして-
真宗と戒律
「菩薩戒経」の背景-「大阿弥陀経」の帝王観の行方をめぐっての試論
神仏習合について-岸部本「真仏因縁」の紹介-
「愚禿悲歎述懐和讃」研究序説-「化身土末巻」との関係において-
御本書後序に就いて
清沢・住田両先生の出遇い-その追憶と宗学-
伝教大師における止観業と遮那業の融合
魏訳「楞伽経」について
タイ仏教瞥見
忘れられた側面−教団と教学と同和問題−
私の思うこと
法然院広布薩の研究
兵庫の先駆者紹介 真身会の創立者竹内了温 融和運動に尽くした内海正名
寺檀制度に見られる「聖」意識−寺院のあるべき姿とは−
浄土真宗と部落問題−真宗教団は部落問題から何を学ぶか−
教学を問う−批判の目−
宗門の発展と統制
漢訳仏典成立に関する疑い
三国仏教と僧伽
本願の荘厳
真宗学への道しるべ
学生と仏教
蓮師教学の現代的意義
蓮如上人と教団
蓮師教学の中心問題とその実践
蓮如上人の行信思想
蓮如上人について
或人イハク御文講要
御文綱要
インドにおける念仏他力義の由漸
正信念仏偈の研究 2〜5−そこに説かれるものは何か−
声明と雅楽
仏教における「転換」の思想
求道者の形態
「教行信証」と「御文」の交渉
恩師を追憶して-研究補遺-
日本古代国家と仏教
過去からの脱却
伝道ということ
教団改革と教化−現場からの発言−
内なる靖国思想の克服をめざして−靖国から民衆史掘り起こしへの実践報告−
北海道における教団改革をめざす運動のあゆみと展望
常盤井裕鸞師に答える
寺へ嫁いで
私の門信徒会運動と教団改革思考
真俗二諦をめぐるひとつの断章-ぼくにおける原点としての「真俗二諦」
教団改革と自己改革
「念仏者は現代社会をどう生きるか」という課題について一言
形骸化目立つ真宗教団
親鸞聖人の神祇観
慧雲師の「神棚おろし」
真宗者にとって神棚とは何か
教学と私
たった二人の教団
本願寺教団における部落問題の課題
真宗教団によって部落は解放されるか−教団改革の視覚から−
宗教と部落問題−部落差別の問題を教団改革という視点からどう見るか
教団と天皇制
天皇制と教育
現代教学の問題について思う
宗祖にさからう勧学寮
門信徒会運動計画書をめぐって
親鸞集団の国王不拝
親鸞における国王父母不礼の思想
またもや穴埋めの教学
国王不礼論争をめぐって
法蔵菩薩と非神話化の問題
「法蔵菩薩」私解
或る門外漢の法蔵菩薩理解の方法について-浄土教とキリスト教の出会いを中心として−
法蔵菩薩と私
法蔵菩薩と私
教団改革運動に思う
宗政雑感
苦悩への旅立ち
私の願い
自己改革と私の本音
吹雪・そして私

成田山仏教図書館蔵書目録総合リンク集へ戻る
成田山仏教図書館トップページへ戻る