親鸞「弟子一人ももたず」の再吟味-唐沢富太郎氏の所説への疑義-
親鸞と<歎異抄>のあいだ-所謂「悪人正機説」をめぐる印象的私見-
真宗教学批判・序説-「教行信証」「韋提別選正意」への苛立ち-
親鸞の信仰と神祇
親鸞聖教における信と社会生活
親鸞の宗教と本覚思想
親鸞における<夢>と<論>-明恵・法然との関わりの中から-
真宗思想史における蓮如の位置-信仰構造の分析を中心に-
「御文章」にみる文章表現
蓮如上人「御文章」研究ノート-「こころ」・「すがた」・「体」の用例-
カントにおける「本来の自己」の問題-主として認識論の範囲において-
法門対話私記
木製懸仏の史的展開
寺院の帰参改派と門徒
「慊堂日暦」にみる松崎慊堂について
宗祇・宗長の生活
ことばの研究-ウルサシ・ウルセシを中心に-
近世被差別部落起源論の近況と問題点
近世大和の「部落寺院」-本末関係を中心に-
歎異抄第二条につきて-親鸞自身の内在告白素描の項-
部落問題解決のための宗教者の果たすべき役割−本願寺教団を中心に−
アナクロニズムの差別の業理解
浄土真宗の業思想−「親鸞聖人の宿業観」(上田義文博士)によせて−
浄土真宗の仏道の体系
真宗思想に見られる前世の業の拡大解釈
同朋運動における「同和」問題の位置
部落差別と天皇制−相補する非人間的扱い−
同朋運動学習の課題と原則−「同朋運動講座」覚書き−
戦後における西本願寺教団の運動の意義と課題
差別はほっとけばなくなるものではない
同朋運動と部落問題
宗教と人権−宗教は人間のためのものであるか−
全国水平社創立七〇周年と本願寺教団の課題
信仰と学問の衝迫(まえがき)
法然と親鸞
転換としての実存と仏教−法然と親鸞−
法然論−親鸞から法然へ−
親鸞論−法然から親鸞へ−
鎮西教義瑣語
法然と親鸞−二つの浄土教の真実−
『醍醐法然上人伝記』『西方指南抄』『黒谷上人語灯録』の内容対応
肥前真宗史素描-特に近世島原を中心に-
部落と真宗-柳原町とその周辺-
反秩序の仏教と民衆-律令体制下における「異端」成立の条件-
横川仏教の一側面-円仁の宗教的実践をとおして-
中世瀬戸内海港町の仏教諸宗派-尾道・鞆とその周辺・宇多津を例として-
「いのちの名告り」に寄せて
追悼朝枝先生−宗会議事録を読んで−
虚空遍歴と白道
よき人のおしえ
「仏道を証しする人」
反「靖国」の精神と行動
真宗者の生きる道
「朝家の御為国民の為」
随意自在なる歩み
「集団からの自立」
信頼について−平和運動理念として−
私の反靖国
靖国問題を縁として日本的エートスを探る
反靖国精神の樹立
今、何故、靖国訴訟なのか
真宗の生活と救い
靖国鼎談−最近の西本願寺教団の靖国事情について−
「ポスト・モダン教学」批判序説
反靖国の精神と行動
仏壮結集の原点−基幹運動の根底−
追悼
愛語をたまわりて
無慚無愧
わが家の戦争責任
ニセモノ
おかわいそうに
聖の群れ 鼎談
現代教学の課題−罪と信をめぐって−
「真の仏弟子」について
教学と教団−非僧非俗について−
他力信心の位相
日本家族における宗教の現段階
真宗近代伝道の問題点
平和の教学
神社崇拝と真宗教団−靖国神社法案の問題点−
真宗の神祇観
日本における「信教の自由」−その問題状況と靖国神社問題−
真宗教学における伝統の問題点−神祇観の継承−
神社崇拝と政治・生活意識−その多変量解析的研究−
近代真宗史における「信教自由運動」の問題
栗須七郎と初期水平社運動
「御同朋御同行」ということ−我々にとって〈それ〉とは何であるか−
「ポスト・モダン」を担いうるもの
「転成」の世界−靖国儀礼の本質と課題
真宗の新たな事態の底流−大村英昭論文を批判する−
石見人・朝枝実彬師を想う
「反靖国」の周縁−民族宗教的体質はどこまで問えるか−
近代天皇制国家成立期の仏教と人権論
真宗における「信教の自由」の教学的前提−桑原重夫氏のいわゆる「宗教批判」にふれて−
連続無窮の志願
一遍の風土
教学的営為の回復−他力本願義問題を契機として−
「目渓学則」考
衆生救済の根拠とその展開

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