舎利塚由来
秀衡と義経
一字金輪仏
比叡山延暦寺の年中行事
照于一隅考−教学は布教に追随すべきものか−
宗祖における国宝の意義−その時代背景の一端にさぐる−
川勝賢亮博士『「照于一隅」の新研究』に対する私見
「千里を照らす」が正しい−中国仏教協会の回答をめぐって−
照千一隅試論−牛場先生へのお答えに代えて−
照千一隅と超八醍醐−日本思想体系「最澄」を読みて−
一天台末徒の「照千一隅」論
福井康順博士の「照于一隅説」についての駁議
「照千一隅」余録−完全復刻「天台法華宗年分縁起」の紹介をかねて−
理念の統一が必要−「一隅運動」に寄せる−
福井康順氏の指摘する最澄の誤字について
文化講座 一隅を照らす 付:「一隅を照らす」は最澄の言葉ではない(「毎日新聞」2000.8.1)
伝教大師の大戒建立運動に就ての一試論−行基仏教との関連性及び独自性−
「顕戒論」の書誌学的一考察
天台宗伝道布教史の一断面−安居院流唱導書の一、二について−
「伝述一心戒文」の対校−良祐筆・恵心院本を中心として−
徳円阿闍梨附法文
山家本法華経裏書所引の古辞書
山家板法華経の読誦法について
西来寺と真阿上人
宗淵上人の学問と精神
北野学僧 宗淵上人の学徳を偲びて
慈覚大師奉讃の意義
入唐前の慈覚大師
慈覚大師と密教
大戒論を拝読して
慈覚大師の浄土門
慈覚大師の悉曇学
慈覚大師の入唐巡礼
入唐求法巡礼行記について
引声阿弥陀経に関する諸問題
照于一隅か照千一隅か−一末徒の素朴な疑念−
照千の一隅 此れ則ち国宝なり−「照于一隅か照千一隅か」再論−
照千一隅
現代天台宗布教における問題点−特に「一隅を照らす」について−
照于一隅説に関する疑問−福井博士のご所見を中心として−
『やはり「一隅を照らす」が正しい』は果たして正しいか−野口教授への回答に寄せて−
照千・照于論争の問題点
「照千一隅」の論拠私見−天台末徒の立場より−
山家学生式私釈−宗団布教との関わりにおいて−
『授決集』の一考察−「華厳円教兼歴別決」について−
智証大師円珍における根本立場の展開
円珍真筆本の発見−聖護院所蔵『三部曼荼』について
智証大師法華論記にみえる仏身観
円珍請来目録と録外について
智証大師についての二題
智証大師における法華経の解釈
『辟支仏義集』管見
日本天台の『理趣経』注釈
智証大師と伝法潅頂会
智証大師円珍和尚の園城寺再興とその意図
智証大師将来・大日経真言貝葉(紙本)について
HOW NICHIREN SAW CHISHO DAISHI ENCHIN
法道仙人の半生
円珍をめぐる文人たち
相応和尚像の変貌
慈円の孤独
叡山法印長舜の和歌活動
埋もれた室町期一学僧の世界
直談の語り手たち
宗淵上人の蒐集資料について−魚山叢書の編集と蓮寂書写本を中心に−
宗淵上人の古典模刻
法華経開版史上における宗淵上人の業績
宗淵上人と北野学堂本
宗淵僧都の天台教学 特に盧山寺流の教学について
台密史上における宗淵闍梨の業績
阿叉羅帖を中心とする宗淵の業績
定善義集解
智証大師と『大日経義釈』の序
日本大蔵経本円珍述大日経疏抄一巻について
円珍請来の阿毘達磨論書について
智証大師円珍と浄土思想
もう一つの止観法について
三観思想の起原及び発達
智証大師円珍の密教思想について
智証大師円珍の山王信仰
『五部心観』の五仏の特性
智証大師の書跡−中国書法との関連から−
日蓮の智証大師観
智証大師円珍の成仏論
『諸家相同異略集』について
中国請来四行本サンスクリット貝葉四本の出典解明における一二の問題
智証大師が見聞した禅宗
円珍の行実に関する日蓮の知識
説話文学の智証大師
智証大師と『占察経』
智証大師における菩薩戒
園城寺の成立と戒壇問題について
智証大師将来の仏教図像
園城寺と尊星王法
智証大師円珍に帰せられる仏陀観の意義
智証大師と大乗戒
『止観科説』をめぐって
智証大師円珍の仏身論
室生天台と智証大師円珍
『菩提場経略義釈』の検討

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