「釈禅波羅蜜次第法門」に見られる四禅
聖護院所蔵「山門雑記」三卷の原本検出について−宝地房證真の真筆本を含む−
聖護院所蔵「山門雑記」三卷の原本検出について−宝地房證真の真筆本を含む−
凝然大徳と叡山浄土教−維摩経の三心釈をめぐって−
渓嵐拾葉集の成立に関する一考察−山家要略記との関連を中心に−
南岳慧思の菩提心について
院長就任の挨拶
潅頂式
天台の蓮華釈について
布教の指導に当たって
フッサール研究 1−学問・学問論・純粋論理学−
天台相承血脈譜の一流伝
比叡山東塔について
舎利会について
天台山参拝記
摩訶止観の業相観の意味
社会福祉の再建と仏教の論理−既成概念の払拭と日本ナショナリティの確認−
正法華経善権品読後覚え書
「魚山余響」に残された御懺法講記録
往生要集の正修念仏と観経十六観
「大集経」と南岳慧思
天台大師智??の菩提心について
韓国寺院参拝記
韓国仏跡巡拝行にちなんで
韓国仏教管見−日本と韓国の仏像を通して−
韓国仏教を一見して
中国天台の聖地を巡拝して−杭州と天台山−
日吉山王巡礼記
国際障害者年に向けて
比叡山再興と地方寺院−天正〜慶長時代を中心として−
法道仙人開基伝説の問題点 上中,
社会福祉の全人格的極限を探る−東洋と仏教思想の精髄を求めて−
華厳の世界観−部派経論と比較−
台密阿字観私考
社会福祉と仏教−八地以上の人格的人間像を目指して−
北摂、木喰仏梵字読後
石山寺蔵本「布薩要文」(中ノ川流)について
浄土三部経の説時について
妙経文句私志記と起信論−六即と本覚・始覚との関連を中心に−
「本朝怪談故事」への一視点
知覚代表説と分節音−ロックの言語説の諸問題から−
叡山学会編「安然和尚の研究」を読みて
墓について
天台四教儀(諦観録)「五悔」の段の錯簡を糺す
施餓鬼会について
中国仏教の遺跡−北京・抗州・上海・南京・揚州−
玄中寺簡介
中国旅行記(S53・12・22〜S54・1・6)
中国旅行記(S53・12・22〜S54・1・6)
留岡幸助の生涯と社会事業における位置づけ
正法華経光瑞品読後覚え書 1
授記は戒名の根拠になるか−法華経と往生説の接点
重要文化財・毘沙門堂蔵本「注大般涅槃経」卷十四・聖行品について
四明知礼と起信論−別理随縁説をめぐりて−
最澄における後期宗観念の成立について
天海と深秘の絵仏師について
PRIMORDIAL ENLIGHTENMENT AND WABI MIND
五台山、雲崗、天龍山を訪ねる旅
大直道における果分の意味−大乗菩薩僧の信解と理智−
伝教大師の御影について
「無記化化禅」について−その語義の考察と天台教学における展開を中心に−
安然の九宗判の原型について
被接に関する一考察−「入」と「接」に注目して
BRUNO PETZOLDの僧階補任辞令をめぐって
大日経三句義の配列に関する考察
中観学の絶対論的解釈−ムルティの場合
太山寺本にみる台密系胎蔵界曼荼羅について 1,
山王一実神道研究の序説
梵網経の「孝名為戒」について
日本梵語学史の研究−五智山の梵語学、特に寂厳について−
中川実範撰「受菩薩戒法」について−新出石山寺蔵本を中心に−
密教声明「授地偈」と親鸞上人画賛との関連について
植物小誌
安居院澄憲の浄土教−四十八願釈の逸文を中心に−
体解大道
放生会について
パキスタンのガンダーラ仏跡を訪ねて
初修行菩薩僧と直道菩薩について 大乗菩薩僧に見られる指標的人間観−
宗祖における国宝の意義−その時代背景の一端にさぐる−
南北仏教における十地学の傾向
伝教大師
「照于一隅」の新研究
金剛頂経における十二神変について
天台教学における「行」の意義−智慧の実践という観点から−
台湾仏教における寺院の現状−特に元亨寺について−
顔真卿にみる天台思想
関山中尊寺にみる伝承と史実−「衣関」の実存性をめぐって−
広智禅師論考
黒石寺蘇民祭と岩手の蘇民信仰
慈覚大師円仁にまつわる伝説と信仰−シンポジウム「伝記・伝説に関わる史実と信仰」−
新しい世紀の天台的生き方
法華経に現れる伎楽について
文化財修復資材の現状−特に檜皮を中心として−
大直道と権実−大乗菩薩僧の僧行−
「聖徳太子と宗祖伝教大師」
円戒受戒
光定和尚 小論−主として『山家学生式』の奏請について−
天台大師の四不可説に関する一考察
現代寺院のジレンマ-阪神・淡路大震災を通じて-
生涯教育時代の天台宗

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