天平時代が生みだしたもの
真実のさとり-「大般涅槃経」を読む 1〜20,
門前町奈良 -奈良市制百周年によせて-
真実の祈り
涅槃経と美術
古代における鏡の意味
僧道照について
行基菩薩と社会福祉
俳句に詠まれた興福寺
み仏と戒め 1〜7
春日の神々と興福寺僧徒
仏頭礼賛
氷室神社の謎
中央アジア仏教遺跡事情
皆当往生
最澄「通六九証破比量文」
「大乗院寺社雑事記」にみる環濠集落
「大乗院寺社雑事記」に見る連歌興行 4−文明10年(1478)〜文明19(長享元年1487)−
十五世紀中期の茶の湯と連歌−『経覚私要鈔』を中心に−
永島福太郎先生追悼−恩師永島福太郎先生を偲ぶ/永島福太郎氏の訃・永島福太郎先生に叱られた話−
仏伝の美術 その1,2
ブッダの生涯−『仏所行讃』を読む− その1〜15最終回
『滅財』
釈尊とその弟子たち
仏教と民間信仰の関わり−東南アジアを舞台にして−
興福寺大衆と官符衆徒(衆中)
法相の祖師達
藤原不比等
善心悪心
仏教における祖師 上下
唯心的生活
インド仏教彫刻の流れ
法句経にみられる心所
ホリスティック教育−全人的な発達を目指して−
唯識のこころ 1〜21
供養について
パリ市グラン・パレにおける興福寺展の意義
奈良朝藤原貴族の観音信仰
解脱房貞慶と興福寺の鎌倉復興造像
健康の中心『寂』−東洋医学よりの視点−
烟華漫筆
興福寺大乗院門跡と律宗寺院−とくに律宗寺院大安寺を通して−
中世における寺院の童について
応仁大乱と奈良
和泉守護細川氏の系譜をめぐる諸問題
河内守護畠山氏とその城郭
「大乗院寺社雑事記」の吹田氏と吐田氏
戦国期大和国宇智郡に関する二つの史料
中世後期における奈良の盲人について−「大乗院寺社雑事記」を中心に−
中近世奈良における「辻子」と「突抜」
大乗院尋尊と中世都市堺
戦国期における山名氏権力と守護代
守護細川氏と北摂津の国人−今西家文書の再検討−
「大乗院寺社雑事記」に見る興福寺寺門領播磨国三个庄
興福寺の河川交通支配−河上五ヶ関中心として−
摂津国吹田寺内町の復原的研究
「大乗院寺社雑事記」「文正記」に見る長禄・寛正の内証
「大乗院寺社雑事記」の医師達−上池院民部卿胤祐と松井法眼−
「大乗院寺社雑事記」に見る薪猿楽関連資料の検討
文献資料にみる「風流」の成立と変遷
生成期における「たて花−十五世紀中期の「花」と連歌の一様相−」
南都綱所について
足利義材側近の公家、葉室光忠とその時代
長禄・寛正期の畠山氏の内訌−古記録と物語、それぞれのあり方−
和泉守護所の位置を探る
大和宇陀郡国人の動向−秋山・沢氏を中心に−
解脱上人の信仰世界
忍向・信海の思想
忍向・信海の勤皇運動
忍向・信海の最後
近藤正慎のこと
忍向・信海の勤皇思想特色
清水寺所蔵文書
法縁寺院所蔵史料
遺稿・遺墨・遺作
「落葉塵芬集」
「詠草」
「詠草百首」
蔵海上人遺稿
忍向遺墨
「大乗院寺社雑事記」の史跡
中世後期畿内国人層の動向と家臣団編成−大和国古市氏を中心に−
室町・戦国期大和国東山内北部の政治構造−狭川・簀川氏の動向を中心に−
中世後期の若党に関する一考察−大和国を中心として−
国人古市氏の馬借・関支配について−南山城を中心として−
大和国「国民」越智家栄の動向について−身分制の観点から−
東播守護代別所則治の権力形成過程について
稚児愛満丸二十八年の生涯
中世猿楽者の存在形態
「大乗院寺社雑事記」に見る連歌興業 1〜3−康正3(1457)〜文明9(1477)
中世都市奈良の近世的変容
一条家領摂津国福原荘に関する一考察
室町・戦後期の大乗院領河口・坪江庄
「大乗院寺社雑事記」に見る中世奈良の諸職人
法隆寺建築論の沿革附論文年表
芸術史上飛鳥時代といふ名称に就きて
平子君の法隆寺非再建論を駁して其の単に妄想に過ぎざるを明らかにす
最近の法隆寺非再建論を評す
法隆寺の古建築は果して推古式か
法隆寺五重塔心柱下の空洞

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