道教における斎法の成立
ケイ康の音楽論
宗密「原人論」と唐代の宗教文化
敦煌出土「大目乾冥間救母変文」校勘訳注(1)
敦煌出土「大目乾冥間救母変文」校勘訳注(1)
「臨済録」に見る「真正の見解」とその構造
「律蔵」の諸特性とインド文化
阿毘達磨大毘婆娑論における菩薩行
チャイタニアの宗教と「名号」論
INTRODUCTION TO TIBETAM BSDUS GRWALOGIC
新宗教の大衆自立思想と権威主義−昭和期の教団を中心に−
近代日本の天皇制国家と天理教団−その集団的自立性の形成過程をめぐって−
死んだと思うて欲を放して神を助けてくれ−金光教における教団論の形成と宗教伝統の革新−
女性と自立と新宗教-修養団捧誠会「東京ミセス」の場合-
新宗教における「カリスマ的教祖」と「カリスマ的組織」−真如苑と創価学会を比較して−
聖俗理論とハレ・ケ・ケガレ-M・ウェーバーの救済理論を通して
宗教的情操とトランスパーソナル心理学 悟りと救いへの志向
ニューエイジにおける「救い」 シャーリー・マクレーンの場合
悟りへの道 シュッツ流の分析
日本宗教史における世俗的過程
浄土教における救済の論理−易往而無人・念仏相続・自然法爾
ターミナルケアと仏教
分派教団における救済の論理−天理教系教団の場合
浮舟の救いをめぐって
「蜻蛉日記」にみられる救い
橋田邦彦における医の学・術・道 生理学と「正法眼蔵」の出会い
救済集団の法的基礎
西義雄先生を偲んで
西義雄先生を追悼する
追悼・西義雄先生
西義雄先生の存在
西先生の学風を仰ぐ
西義雄先生と早稲田大学
南島論−家族・親族・国家の論理
南島の継承祭儀について−〈沖縄〉と〈日本〉の根柢を結ぶもの
家族・親族・共同体・国家-日本〜南島〜アジア視点からの考察
共同体の起源についての註
新興宗教について
天皇(制)論の難しさ
触れられた死
告別−姉の死など・母の死
告別
告別
告別
告別
インタビュー前後(2)
日本人はなぜ南瓜を恐れたか−「聖としての食」理論と「俗としての食」理論−
聖と俗のドラマトルギー−古代における−
鈴木正三の聖俗一致説
イギリス・ルネサンス期の聖書劇-「俗」化時代の「聖」なる演劇-
「アントニーとクレオパトラ」-ウイリアム・シェイクスピア-
17世紀フランス古典劇における「聖」と「俗」-ピエール・コルネーユの悲劇「ポリウクト」をめぐって-
聖と俗の交わり−西洋文明の生と死−
文明と宗教−フロイトの「ある幻影の未来」−
宗教教団と自立
西義雄先生を偲ぶ
日本における宗教と政治
日本古代国家形成理念と大乗仏教−聖徳太子から東大寺建立への過程における−
日本近代化における宗教と国家
西田幾多郎における歴史と国家
政治と宗教
教会と国家とフィリピン・ナショナリズム
イスラエル史から見た教会と国家
アウグスティヌスにおける宗教と国家
プロテスタンティズムと国家
アメリカの宗教−伝統の中の宗教右翼
アメリカ建国とキリスト教
ファシズムとカトリック教会
東方正教会と国家権力
宗教と国家−ロシアとトルコの比較文明論的考察
ロシア正教会の現状−歴史的考察と展望
ロシアにおける宗教と国家−ベルジャーエフの思想から
天皇制及び日本宗教の諸問題
国家と宗教の間
共同体論について
天皇及び天皇制について
「法華経」と宗教的寛容
浄土教における寛容と非寛容
儒教の寛容について
近代神道のシステムと宗教的寛容
古代イスラエル唯一神教の成立とその特質
キリスト教の「寛容性」と十字架の出来事
イスラムにおける寛容−クルアーンと法学に基いて−
イスラムにおける他宗教の理解-イブン・ハズムの創世記批判-
ペルシア文学に見る「寛容精神」の淵源
唯物論と宗教
仏と寺 −字義とその思想的意義−
新たな普遍の発明と「寛容」
「許し」禁じられた欲望
宗教と国家
宗教と国家
宗教と国家
教会と国家
宗教と国家−戦争の問題を通して
政教分離の法理
原始仏教の国家意識
仏教の国家観
儒教の国家観
宗教としての天皇制
規範と存在−イブン・タイミーヤ神学の言語的基礎

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