『万葉集の精神』(保田与重郎著)をめぐって
「山高み」攷−所謂「ミ語法」について−
昭和の万葉研究略年表
舎人人麿
柿本人麿−その文学を支えるもの−
柿本人麿論−「過近江荒都時」歌の成立について−
人麻呂の表現と史実−所知食世者と申賜者をめぐって−
叙景歌と人麻呂−その成立の契機として「靡けこの山」−
龍田山と狭岑島−人麻呂に於ける神−
人麿における詩の原理 −人麿ノートその一−
天武朝における柿本人麻呂の事業−人麻呂歌集と民謡の関連を中心に−
人麻呂と持統朝−後宮と挽歌−
高市挽歌論−高木氏の所論に関連して−
近江荒都歌の文学史的意義
旅人の宮廷儀礼歌
「遊於松浦河歌」から「領巾麾嶺歌」まで−その作者と制作事情をめぐって−
周辺の意味−憶良の場合−
貧窮表現の一類型
憶良の用語「それ」と「また」−助字の修辞的利用−
憶良短歌の文体
憶良「思子等歌」の論
赤人の動
日本の古典とのつきあい
新古今サロンの人々−くらしの歴史−
解説
万葉集の鑑賞およびその批評
柿本人麿私見覚書
山部赤人
大伴旅人
山上憶良
大伴家持と万葉集
万葉時代
万葉韻律訳の完成まで
初等教育の問題として
菊池寿人先生その他
額田王の歌から
万葉時代の貴族の生活−くらしの歴史−
初期万葉の抒情
人麻呂文学の達成
山上憶良
万葉人の心と表現
孝徳・斉明紀の挽歌における詩の成立の問題−類歌性をめぐって−
斉明四年紀伊行幸歌考
額田王と鏡大女−その基礎的考察−
「門」(かど)のイメージ −「妹が門見む靡けこの山」にふれて−
旋頭歌の享受の場 −人麻呂歌集論として−
旅人と房前−倭琴献呈の意趣とその史的背景−
風流侍従の歌−身人部王の位置−
東歌が民謡であるという言い方
『万葉集』歌にみる妻争い伝承の悲劇性
『西行上人談抄』所引人丸歌考
『古来風体抄』の『万葉集』歌
山上憶良における死の意識(恋・旅・死)
人麻呂の寿歌一首(儀礼・信仰)
信仰−東大寺と国分寺をめぐって−(儀礼・信仰)
歌枕序説−起源と前史−
『万葉集』名所考「伊勢国伊良虞島」「横野」
「ふけひの浦」
「こごしかも伊予の高嶺」
名所三題「みなせのみや」「となせのたき」「ひとつばし」
「野島が崎」
歌枕「大島」の研究(上)『源氏物語』の「大島」と『万葉集』の「可太の大島」
歌枕「大島」の研究(下)「大島」「大島鳴門」考
『源氏物語』の歌枕
「かげろふの石」
「奈良の石上」
「音羽山」
『古今集』の「かさとり山」
『後撰集』「県の井戸」考
「あたぬし」考 『梁塵秘抄』注釈−付、林屋辰三郎氏の見解について
『山家集』、注釈及び錯簡考
泣虫小僧
解説 <古今和歌集>
解説 <新古今和歌集>
古今集論
古今和歌集概説
紀貫之
新古今集の叙景と抒情
隠者文学
新古今世界の構造
藤原定家
小野小町の歌
古今集漫読抄
文化社会学
「万葉終焉の地」駆け足行
私の「真弓の丘」
万葉の「たづ」
武蔵国府の記
犬養教授と私
深津島山
東歌の季の物をめぐって−花・霍公鳥・黄葉・雪を中心に−
能登机の島
犬養君をたたえる
「藤原」の御井
許我の渡
犬養博士の功績
真野の榛原
「もみぢ」断想
「藤波の花」
「さきたま」と万葉の歌

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