百丈清規の研究−「禅門規式」と「百丈古清規」−
国語研究
道元在宋中の参学行程に関する諸問題(上)
THE TWELFTH CENTURY CAODONG TRADITION AS THE TARGET OF DAHUI'SATTACKS ON SILENT ILLUMINATION
(公開講演会)随処に主となる
宋代台州臨界県における庶民の経済力と社会−寺観への寄付金一覧表から−
南宋妖神信仰素描−山??と瘟鬼と社祠−
『天童如浄禅師続語録』考
道元禅師が記した南宋大禅院の伽藍
鎌倉時代の僧侶と『首楞厳経』
「正法眼蔵抄」における「眼蔵」理解について−本覚法門への批判点をめぐって-その俗諦常住の理解度について 1〜3
潔堂派切紙に関する一試論−常光寺史料を中心として−
「出家」と「出家功徳」
中世曹洞宗における代語文献の研究(4)
『宗門統要集』よりみた宋代禅の特色
ピーター・グレゴリーへのリスポンス
江蘇・浙江の言語について
(公開講演会)曹洞宗における袈裟のシンボリズム
道元の霊性批判−鈴木大拙の霊性と関連して−
『?\居士詩』と?\居士
INGEN AND THE THREAT TO THE MYOSHINJIHA
新出資料・真字「正法眼蔵」の翻刻・紹介−永昌院本と松源院本について−
訳注『裴休拾遺問』上
禅における心性と性起
道元禅師伝の史料研究−「三大尊行状記」と「三祖行業記」を中心に−
天桂伝尊と盤珪永琢
耶律楚材論−金朝滅亡期における思想状況と政治状況の牽聯−
中世仏教における尼の位相について−特に初期曹洞宗教団を中心として
刹那生滅を生きる
石井修道著『道元禅の成立史的研究』を読む
訳注『大慧普覚禅師法語〈続〉』上下
中世仏教における尼の位相について 下
『金剛経解義』と神会
海巌宗奕に関する二、三の問題
敦煌本『壇経』における戒の構造
『心王経』について−ソグド語訳された禅宗偽経−
禅瞑想と時間体験に関する心理学的研究
アメリカ文学と禅
「正法眼蔵」における皮肉骨髄
都市臨安における信仰を支えた庶民の経済力−石刻史料の解析を事例に
宋代荊湖未南北路における鬼の信仰について−殺人祭鬼の周辺−
ユングの分析的心理学と禅
禅と精神病理学的諸現象
禅と精神病理学的諸現象
禅とインド仏教
仏教における「心」の概念
坂口安吾
禅の行の実際と理論
禅と親鸞の顕浄土真実
不生と往生−道元と親鸞における死の自覚−
老荘の自然と禅
禅の無心と荘子の無心
坐禅と坐忘について
禅と中世初期歌論
禅における「法」と「人」
有の問と絶対無
道元の《女身不成仏論》について−十二巻本『正法眼蔵』の性格をめぐる覚書−
洞門抄物における「再吟」の性格
初期曹洞教団の関東進出−明全・詮慧と常陸佐竹氏−
『正法眼蔵』の性格−その伝燈録的一面−
胡適『荷沢大師神会伝』(上下)
RECENT TRENDS IN DOGEN STUDIES
道元禅研究試論
変成男子思想の研究
禅宗批判
(公開講演会)禅即仏法
霊性−そのエキュメニカルな意味と諸宗教の間の意味−
生きているのは、もはや、わたしではない−キリスト教信仰と人格の自己同一性−
ただ信仰のみによって
浄土教における信と自己同一性の問題
心をこめた布施行
新しき主体の誕生
仏教の信仰−宗教間対話のための基礎概念として−
今日の実践神学
マルティン教授への質問と答え
「実践神学」から「真宗学」への問いかけ
宗教的実践の課題−実践神学マルティン教授との御縁のなかで−
無門の門
禅宗のあゆみ−禅宗の成立と展開
僧堂の生活
禅寺案内
禅の造形 1(建築),2(美術)
絶対危機と復活
西洋形而上学の根拠と禅−一試論−
禅と自然
道元の宗教的世界観とホワイトヘッドの形而上学的宇宙論
キルケゴールと道元における同時性の問題-「キリストとの同時性」と「同時成道」
不滅と不生
創刊初期における雑誌「共生」から見る椎尾弁匡と「共生」運動の展開
長谷川良信の目指したもの
生死の看取り
渡辺海旭の社会事業への開眼 1
浄土宗寺院における社会実践に関する一試論
禅勝房の伝える詞にみる「浄土教と福祉」
わが国における宗教社会福祉の嚆矢
近世における臨終行儀について−「臨終節要」と「千代見草」の比較を通して−
少子化社会の保育制度と仏教系保育所の現状について
日本的・仏教的要素を加えたスピリチュアルケア論
浄土宗における児童教化の一考察
悲嘆ケアについて−浄土宗の教えに関連して−

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