鎌倉期の撫民思想について
地本と下地について
「鎌倉」と鎌足
故都順化
北奥における荘園・公領制の展開
東大寺領伊賀国玉滝荘における出作と加納
「北野天神縁起」と鎌倉時代の北野社−宮仕と大坐禅人を中心に−
鎌倉末期の東寺領荘園−正和年間の史料を読む−
鎌倉時代の内検と損免要求−安芸国新勅旨田を中心に−
中世六郷山の組織の成立と展開
中世書流の成立−世尊寺家と世尊寺流−
「実躬卿記」紙背文書と鎌倉時代の羽林家
「宇佐宮仮殿地判指図」に関する基礎的考察
海事史料としての日蓮書状
端裏銘の日付
中世「墨田渡」と隅田宿および石浜について
伊豆の国学者 竹村茂雄の思想
鎌倉期越中国の徳大寺家領荘園について−「徳大寺家史料」所収文書の検討から−
若狭国太良庄と歓喜寿院
百姓申状と本所裁判−紀伊国阿弖河庄−
大仏再建期東大寺経済の構造−重源上人の経済外的活動との関連で−
中世東大寺の別所と経営−山城国光明山寺を中心にして−
利休死後の太閤秀吉
鎌倉後期伊勢神宮大宮司職の変質
阿弖河荘の建治相論
和泉国における中世刀祢の機能と特質
汎矢野庄の空間構成
鎌倉後期大和国の交通路と地域社会−平野殿荘をめぐるノート−
米稲年貢の収納と稲堆・斤定
鎌倉時代松浦党の一族結合−系図の復元を中心に−
鎌倉時代の天野氏について
政所執事二階堂氏の家系
「百姓」呼称と「百姓」身分
イエと親族をめぐる試論−鎌倉期・武士層の場合−
『鎌倉遺文』の「系図」
中世武士社会と善光寺信仰−鎌倉期を中心に−
鎌倉時代の旗と武士の「家」
水産篇
養珠院お万の方と房総里見氏
戦国武将の信仰生活
木下藤吉郎の功名−秀吉史料の初見−
本能寺変後の明智光秀
一番槍の感状
武田勝頼夫人の最期
楠長諳の九州陣道之記
陣中の新年−朝鮮の役−
荒武者と茶の湯
新潟県の歴史
島井宗室と町人道
桃山時代の大坂城
小田原落城と北条氏の末路
淀殿の生涯
刊行史料集整理の必要性−「鎌倉遺文」所収文書を中心に−
御成敗式目九条成立の前提−平安遺文・鎌倉遺文の「謀叛」用例の検討から−
大府と宰府−鎌倉時代の大宰権帥と大宰大弐を中心に−
九州における荘園公領制の形成と鎌倉幕府
将軍家下文に関する一考察
六波羅探題発給文書の研究−北条重時・時盛探題期について−
両統迭立期の院宣と綸旨
近江国柏木御厨と金沢北条氏・山中氏
近江国葛川にみる青蓮院・無動寺の支配機構
江戸の日用座と日用=身分
北条早雲と三河武士
受給文書 補遺(4342〜4346号)
「戦国遺文 武田氏編」への期待
小山田備中守(虎満・昌成)について 正続
戦国甲斐の凶作情報を読む
秋山伯耆守虎繁について
武田氏の伊那郡御園郷検地帳
鎮西の動乱 天下三分の縮図
武田信玄の人間像
「其城普請」の城名を推理する
河東一乱終息の顛末
武田勝頼と信勝
永禄九年徳政令の可能性
甲越和与の発掘と越相同盟
武田家朱印状 年未詳(3746〜3776号)
諸氏年未詳文書(3777〜3972号)
穴山勝千代文書(3973〜4009号)
武田氏受給文書(4010〜4123号)
人名索引,地名索引
桶狭間合戦と「義元定書写」
足利義晴による河東一乱停戦令
戦国期東国諸氏の元服時期について
真里谷武田信嗣をめぐる婚姻関係
鶴谷八幡宮の棟札に見える小屋奉行
原文書「千葉胤富覚書」について
房総戦国史における天正十四年の位置
井田文書における「北条氏政軍役割付状」についての覚書
秀吉の右筆と大村由己・興山上人
初期太閤検地について —天正十一年今在家村検地の斗代をもとに—
肥後加藤氏の二つの検地(帳)と領知高 —現説への基本的な疑問と↓
豊臣期給人知行権の一考察 —安良城盛昭氏『太閤検地と石高制』↓
豊臣政権化下の水論と村落 —天正二十年の摂津の水論を中心に—
豊臣秀吉の日本神国論 —キリシタン禁制をめぐって—
キリシタン禁制をめぐる天皇と統一権力-統一政権成立過程における-
『天正記』から『太閤記』へ —近世的歴史観の発生—
北条氏家臣石巻氏系譜考
伊勢宗瑞と関右馬允春光
香山寺と早雲庵

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