最澄と空海
歴史主義的知識社会学の視座
生命の歴史物語を読む
三河国に於ける真宗教団の発展 上中下
スピノザに於ける人間精神の永遠性に就いて
尾張蕉門の芭蕉離反−荷兮の場合
帰命の尊貴
梵網経と阿含部梵網経についての試論
英訳「憲法十七条」
近世勧化本の展開−四十八願を主題とするもの
三輩の教信−願生者の試金石
「生命の価値」をめぐる言説について
大乗荘厳経論菩提品の基く諸経に就いて
真宗教団の基調についての一考察
華厳経唯心偈の印度的訓詁
ドイツを中心としたヨーロッパ印度学界の方向
ドイツ留学印象記
キルケゴールにおける「魔的なもの」について
和辻哲郎著「風土」独訳への後書き(独文)
「便同弥勒」と「興如来等」に就いて
唐代の僧道給田制に就いて
グレイとワーズワース−その詩的世界の特質について
現生正定聚の境位
慈雲遵式の浄土思想
明治仏教の一軌跡−高木顕明の行実
唯識説に於ける識所依−特に護法について
ホイットマンとニュー・オーリアンズ
唐五代詞の韻律について
妙好人的信仰の思想史的系譜−「悪人正機」の自覚の歴史
アメリカの婦人解放運動
大乗阿毘達磨集論並びにABHIDHARMASAMUCCAYA-BHASYAの和訳
新韻集について
精神薄弱児の人格的適応に関する研究
慧日論の仏性説
悪人正機
スタンダール作品「アルマンス」の樹木について
太子教学における仏土の問題
詩の形成について−HERBERT READ から
安楽集に引用された所謂疑偽経典について-特に惟無三昧経・浄度菩薩経を中心として
近世土御門家の陰陽師支配と配下陰陽師
声明史料としての「弾偽褒真鈔」
樋口一葉「通俗書簡文」について
三業惑乱史上に於ける宝厳の地位と講師深勵の苦闘
知的徳性の教育−ハッチンズを中心に
金沢末刹侍講あて教如上人書状について
なにをどう描写するか−1925年の小説群を読む
シュミットハウゼン著「アーラヤ識論」ノート
唯識における無自性の確認−荘厳経論求法品第50,51偈をめぐって
ベルグソンと神秘主義
中国仏教と肉食禁止の問題
宗教批判の立脚点−フォイエルバッハの場合
浮浪、浪人及び失業
明治初年の護法一揆に就いて
俗講に関する疑義
人格について−矛盾的性格を中心として
華厳即悲論の一側面
法然の仏道観−特に「悉有仏性」を中心として
鎌倉時代に於ける冷害風水禍並に旱害の展望 上下-附親鸞上人及び其遺族の体験-
唯識宗に於ける見道断惑
聖天像 1紙
魚山叢書覚秀本について
曇鸞和讃考
守護信心−「二河譬」についての一考察
親鸞聖人の仮名遺に就いて(阪東本教行信証の仮名遺を主として)
釈尊の悲化−「大無量寿経」悲化段を中心として
私小説作家の倫理
源信著「阿弥陀経略記」の研究
徳川幕府に於ける統治精神の変遷
斎藤唯信先生の業績
別曹をめぐる二、三の問題
平安朝仏教説話集にみる観音信仰
法蔵教学における大乗諸経論の受容について−如来蔵経論と妙法蓮華経
依他の離言について
隆寛律師の本願観
ヘーゲルの倫理学における「自由」についての基本的考察 上下
ヨーロッパ、特にフランスにおけるシナ学、仏教学の現状
善導と「涅槃経」
社会学における社会関係論の展開
唯識ということに就いて
元の世祖と道教−特に正一教を中心として
「摧邪輪」の背景とその性格
浄土を求める心−欣慕・帰命・願生
法法性分別論の梵文断片
聖徳太子「十七条憲法」第二条の研究−金子大栄兄におくる
渡米にあたりて
聖徳太子関係著書・論文目録(S39.1〜S40.12)
クシャトラバの性格およびかれらの仏教帰依についての諸問題
クラパレードの「行為の大法則」について
プラトン「エウテュデモス」におけるプロトレプティコス・ロゴスとエリスティケ
シャーウッド・アンダソン−真理探究への助走
分別と言葉−「入楞伽経註」の一節とバルトリハリの言語理論
徳川時代蝦夷地布教の一資料
学寮創建の財的支援者高木宗賢について
ゲーテの抒情詩「さすらいびとの嵐の歌」“WANDRERS STURMLIED”について
「つよい」ということ
外国語教授法の分類について-ディラーの所説を中心に-
三性説における唯識無我の意義(2)
「二税戸」攷
フィヒテに於ける TASHANDLUNG(事件)の問題
伊勢物語の流動と定着

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