主体性と悪の問題
「比良山古人霊託」と善念・性信
「洞窟」をめぐる問題-プラトン「国家」篇、洞窟の比喩について
今昔物語集名称考、其他
明末仏教と基督教との相互批判
「法然上人行状絵図」成立の事情について
白居易選択教碑箋注(一)
宗教学の一基本問題−宗教哲学への途上で
エーリッヒ・フロムにおける社会的性格論の教育学的受容
蓮如上人の吉崎滯留と加越門徒
曼荼羅供
印度に於ける大乗仏説非仏説論(大乗荘厳経論成立大乗品の研究)
教育における経験と思考
百利口語に就いて
親鸞と天文学−三願転入と五時教判との関係について
真宗の声明についての一考察
天正寺の創建・中絶から大仏造営へ−天正期豊臣政権と仏教
近世スコラ神学における「神なき人間」−純粋本性の状態(STATUS PURAE NATURAE)について
徳川時代刊行節用集の展観に就いて
撰択から廻向へ
善導と「起信論」
権徳輿の贈婦詩について
真宗に於ける廃立義に就いて
蒙古仏教の職階制について
常行大悲の益について
トンミに帰せられた著作について−王統鏡の所伝を中心として
真下飛泉研究−修道校時代の真下飛泉
成覚房幸西の一念義
宗祖から蓮師へ
再び唯識義について
親鸞の名号本尊
証如書状研究序説
戦国時代の興正寺について
契丹仏教の社会史的考察
プラトンの神観−「ティマイオス」研究序説
ゲーテ研究 自然と認識
マルクス主義と教育−中国の場合
兵杖を帯びた悪僧たち
補特伽羅説と其の批評
殼霊儀礼と神話
智猛並に法勇の求法行記に就いて−附・法盛の歴国伝
教育における形式主義
ダルマパーラバドラのチベット文法論-三十頌注の和訳 上下
事物論に於ける対象についての考察
「三朝高僧伝」管規−習禅篇を中心として
豊臣期所司代と下代衆
「龍龕手鑑」雑攷
明末仏教と基督教との相互批判(下)
パイディアとしてのエロース-ソクラテスによって実証されたる
覚如上人仮名聖教用語の研究 1〜3
ベーメに於ける七つの性
元朝「宣政院」考−その二面的性格を中心として
パーリ原点SARASANGAHAの発見
歎異する魂
浄土荘厳の原理
智光の浄土教思想に就いて 上中下
新約聖書にあらわれた信仰と行為との問題
明朝と太和山について
荘厳浄土のこころ
白居易における幽独の詩情
信と経験−「仏説観無量寿経」を読む(上)
唐代の幕職官人事をめぐる一考察
大谷本廟留守職考(上)
歎異抄の性格−特に三序を中心として
勝鬘経義疏の注釈における太子の態度
メルロ-ポンティに於ける身体論の素描
「音韻闡微」の反切法をめぐって
報身仏の歴史的研究
殼霊儀礼と神話(下)
真宗教団の中世的変貌−知識と伝道の問題をめぐって
梁啓超の教育論
仏智疑惑
天平18年8月7日の雁の歌−家持作巻17・3947番歌について
阿含における縁起説の二面について(上)
児童文学における伝統の意義と新美南吉
釈道安の弥勒信仰−弥勒上生経訳出以前の兜率願生
キートンの影の彼方に
神秘主義の本質をめぐって
歴代三宝紀帝年攷
A GOOD SOLDIER TO A LADY;BUT WHAT IS HE TO A LORD ?-「空騒ぎ」における笑いの輪
親鸞の入信期に就いて
維摩経仏国品の原典的解釈(上)
第一次及び第二次集団理論の検討−集団類型分類基準に関する一考察
ゲーテの詩<魔王>−<伝承バラーデ>から<創作バラーデ>へ
大谷本廟留守職考(中)
柳宗元における仏教受容の一齣
クシャーナ時代における仏教の発展ならびに伝播について-カニシカ王の治世を中心として-
新教育思想と宗教−野口援太郎の場合を中心に
滋賀県西北部近江今津町北方の平野下部の活構造について
「アヴァダーナ・シャタカ」に見られる説話の形式について
仏教発展の心理的考察
阿含における縁起説の二面について(下)
大脳皮質の神経細胞の培養
国師・講読師について(上)
カント哲学に於ける先験的自由に就いて
朱子の性理論
初期の俳諧と仏教
親鸞の翻訳観
ポプラと蛇−フロベールにおける聖と俗の動植物学
近代における陰陽師のゆくえ

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