阿育王塔に関する研究
宗教への教養
信楽の一念について
プルーストの描いたリラと樹木について−JEAN SANTEUILからTEMPS PERDUへ
「アーサー王の死」にみるTENNYSONのGENTLMAN像-EPYLLIONからIDYLLへ
顕真実教の明証
源信僧都の作と伝へられる和讃の真偽
LOKAYATA に関する研究
三信釈の論理
浄光寺本「親鸞聖人御消息」と「末燈鈔」
智??の神通と説法
北宋期における陰陽家の吉凶禍福説と仏教−葬礼・択日・土地神・祈雨をめぐって−
ジェイムズ・ジョイスの「レースのあとで」
機法の問題
モンゴル時代雲南の殷氏総管をめぐって
親鸞における信仰主体の問題-法蔵菩薩の自証-大谷学会春季公開講座講演会 講演要旨
西蔵律典研究予報
仏説戒香経一巻
我祭祖俗の起源に関する一考察
維摩経仏国品の原典的解釈(下)
聖徳太子とアショカ王の仏教
「易行品」の提示する根本問題−阿惟越致成就の方法について
旧東ドイツのユダヤ人
心身相関と間主観性
漢蔵対照百字論及び訳注
大谷本廟留守職考(下)
王安石に於ける方外の契
国師・講読師について(下)
キルケゴールにおける「瞬間」の構造と宗教的意味
シェラーの実証主義批判と実証科学の位置
“いのち”にかかわる大学生の意識に関する研究
起信論の真如に就いて
米国加州の天主教
親鸞聖人の疑謗観
「安楽集」所引疑偽経典の二・三について
ツォンカパにおける二諦説総論
勝鬘経義疏の法身と三宝について
宗教への人間学的視座
古代支那に於ける家族関係の一面について
如実修行相応に就いて−願信相応の倫理的構造
カントと自然科学
ツォンカパ造「秘密道次第論」の第一章(序説)について
無明について−「ヨーガ・スートラ」II・五注との対比
社会的交換理論−その一側面について
論語「民可使由之不可使知之」章解釈私攷
新出の韻鏡旧注
還相の廻向応に就いて
農邨通婚考
洛陽伽藍記の諸版本とその系統
元代僧徒の免因運動
華厳経における文殊菩薩
伊藤左千夫と仏教
信と経験−「仏説観無量寿経」を読む(下)
親鸞教学の主体性
ゲーテの宗教的世界
カントに於ける物自体
初期本願寺の精神傾向
不断煩悩得涅槃−親鸞に於ける宗教的実存の生
節会相撲考
金石資料による石壁玄中寺史の研究
光明子七七日写経をめぐる一、二の問題
西蔵仏教の由来と価値
獨逸印度学界の現状
原始仏教の倫理
バルザックの世界
仏教説話にあらわれた寺院−今昔物語集を中心として
村落社会における宗教意識の変容−兵庫県養父郡大屋町の場合
スピノザ哲学の二義性
可死の神−トマス・ホッブス「リヴァイアサン」の表紙絵を読み解く−
華厳経と浄土教との関係
喇嘛教々理概説
愛のエロス的性格とアガペ性格 上下
PATANJALAYOGASUTRANI
真宗管見 上下
廻向に就いて
金塊和歌集試論-定家所伝本と貞享本とについてのノート
竹生島における神仏分離について
竹取翁伝承の本原
阿含における解説の思想展開の一断面
法然門下における「弘願一乗」の究明と親鸞の「一乗海釈」−「論書」としての『教行信証』への一視座−
殿版豪文大蔵経考
自己表現の教育
「御伝鈔」古写本をめぐって
親鸞における「名」の二相−「ナノル」「ナズケル」
信の仏教の系譜−『スッタニパータ』「アーラーヴァカ経」と「ヴァンギーサ」に描かれる「信」の原風景
蔵伝、摂大乗論より見たる二三の問題
学寮開基 法海院樹心伝の研究 1,
存在と関わり−ENGAGEMENTの存在論的問題
月称の中観説について−入中論の結章に対する解読
明初の僧道衛門
世界遺産エルデニゾー寺院(モンゴル国)で再発見された漢モ対訳「勅賜興元閣碑」断片
親鸞聖人寿像の研究
敦煌本瑜伽論分門記について
マイスター・エックハルト
東本願寺翻訳局目録に見える「耶蘇会」について
ジョン・ドス・パソスのU・S・Aの総序「U・S・A」読解
元禄・宝永期の平太郎伝浄瑠璃−「都三十三間堂棟由来」と「和合之名号」
法華経義疏における仏性論
<底>から<的>への交代状況からわかること
西蔵訳大宝積経の研究−大宝積経成立考の一節

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