禅思想史の基礎的構築−鈴木大拙博士の「少室逸書」を看て−
宗教生活の理念
化度寺?ヨ禅師塔銘校字記
有漏業と無漏業−親鸞の罪福信に関連して
禿庵文庫本「選択本願念仏集」と「高野山寺聖教目録」について
大無量寿経における普賢行−親鸞の還相回向論の思想史的背景
教相と安心
六祖慧能「風幡問答」から南宗禅「無情説法」へ
生政治とコミュニティ−タイにおける保険医療の変貌−
安恵造中辺分別論注釈梵文写本の数葉について
児童の宗教意識発達に関する実験的研究
宗祖の悲歎を聴きて
エックハルト解釈上の一問題-「誕生」と「突破」との内面的連関について
親鸞の結婚について
神秘家についての心理的解明−神秘主義研究(その一)
「アリマス アリマセン,アレ ワ ナンデスカ」−本邦初のハムレット第四独白訳について−
キルケゴールの語りのスタイルの根本衝動−「文体の根本衝動」「物語の真実性」の観点から−
頓成事件に就いて
真宗学の印現説について
解脱上人の学風と同学抄
THE SEVENTEEN-ARTICLE COSTITUTION
「魔女の厨」の壊れた王冠
2002FIFAワールドカップ(TM)の観戦動機に関する研究−観戦形態別観戦動機の比較−
支那古代に於ける「無」の思想について
東林十八高賢伝の研究
法然教学における三心について
現在の「家族病理」の一側面とその社会的背景−母親の「育児不能」を中心に−
「雨の中の猫」の中の三毛猫
維新改革の指導精神−神武創業の発現につきて
シュライエルマヘルに於ける宗教と道徳
本無および如・真如の訳出について
「継子譚」の背景−少女成長の主題をめぐって
カンボジア特別法廷の社会的機能−あいまいな「正義」は何をもたらすか−
浄土の眷属−「王舎城の悲劇」に照らし返されるもの−
寂然不動の世界
神秘神学の中心問題−CONTEMPLATIOU に就いて
心理劇によるグループ・スーパービジョン
金明昌元年建「西京普恩寺重修釈迦如来成道碑」について−金代仏教史の一側面
大乗経典の冒頭部とその意義
NOH YAMAMBA AND THE TEN OXHERD PICTURES
龍樹造・仏三身讃及其疏
瑜伽哲学に於ける CITTA の概念
宗教的経験に於ける態度の問題
説一切有の立場
干潟龍祥博士による梵文「善勇猛般若経」の出版と般若経研究
R・N・ベラーの「徳川期の宗教」覚書
「拾遺集」初出版歌人の詠風
資史料空間から任意の関心領域を柔軟に抽出・提出する新たな方法論の研究−情報整理の問題を中心に−
蒙国大詔徳化頌碑補攷
学寮開基法海院樹心伝資料
明恵上人の名字本尊について
「六因説」について−特にその成立に関して
朝鮮美術展覧会と朝鮮における「美術」受容
教行信証所引弁正論につきて
唯識説に於ける執障の問題
祖聖と老病死
御消息に忍ぶ晩年の親鸞聖人 1,2,
新興宗教について−創価学会の一側面
自然法爾考
世界市民思想をめぐって
安恵造中辺分別論注釈相品虚妄分別相り梵本
西蔵文仏地経
図書館資料について
「一握の塵」とブラジルへの旅
幻視者(ヴィジオネール)バルザックの花束・風景-「谷間の百合」をめぐって-
『古事記』禊祓の段について−「身に著ける物を脱くに因りて生れる神」の名義と物語−
西域出土の西蔵本
聖提婆に帰せられたる中観論書(未刊) 「智心髄集について」
浄土の教団−真宗教団の必然性についての試論
教育学における規範の問題−ドイツ教育学の状況
『歎異抄』における「オホセ」−第十章を手がかりとして−
心敬僧都の芸術境
愚禿鈔に対する一考察
唐代浄土教徒の精神生活
縁起説解釈に関する一私見
嘉祥作に帰せられたる「無量寿義疏」
芭蕉の詩想
「薗城寺縁起」の享受
教師論における実践知の解釈をめぐって−小川正の上田教育論解釈批判−
蓮如上人和歌集
カントの公民社会
哲学と現実 1,2-ヘーゲルの場合についての覚え書き
勝鬘経宝窟の撰述について
「ダニエル・デロンダ」におけるユダヤ主義とフェミニズム
ワーズワスの『教会ソネット集』−聖なる河−
法と行の思想としての仏教
怨親平等の思想
和讃の成立年代
鴎外の「歴史小説」
国分寺創建に関する問題

制度論から人間関係論へ−家族社会学におけるパラダイムの転換
『大原御幸』をめぐる一つの読み−「閑居友」の視座−
勝鬘経義疏の特質-聖徳太子における勝鬘経の把握-
人生の後半における「遊び」の意味について
高木顕明と部落差別問題-小説「彼の僧」に見られる顕明の被差別部落観(感)-
平康頼伝考
公海僧正と東本願寺
真宗教判論序説−仏性論を中心とする一考察
涅槃経の護法思想

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