日本近世の聖なるもの−徳川王権と都市−
地域福祉研究における「地域」認識の課題
「夢の包み(LE REVE-ENVELOPPE)」について
支那中世に於ける捨身に就いて
仏地経に就いて
教の真実性について
PRAMANAMIMAMSAにあらわれたる正理学派の文献
世俗化の一問題−カリスマ日常化の観点から
イェイツの牧歌的詩
<他者の語らい>について
LA VIDEO DANS L'ENSEIGNEMENT(LE JOURNAL TELEVISE DE FRANCE 2)
悲華経の成立及びその仏身観
六祖壇経に関する二三の意見
孤山智円と明教契崇−宋代二高僧に見る儒仏二教の位置ずけ
青年ならびに成人における一体感への願望について
大谷大学蔵新出角筆文献について
APPRENTISSAGE DU FRANCAIS LANGUE ETRANGERE(LE JOURNAL TELEVIS-E DE FRANCE 2)
鎮西島津庄、その成立・増大・住人・並に伝領
金朝の漢民族統御策私見
西山上人の仏教観
米沢市立図書館蔵「沙石集」拗音表記
テセウスとアテナイ−ミュケナイ末期管見
「判比量論」の角筆譜について
浄土真宗の仏性観
安恵造中辺分別論注釈相品虚妄分別相の梵本(承前)
聖提婆に帰せられたる中観論書(続) 「智心髄集に提示せられたる、毘婆沙師、経量部、瑜伽行派及び中観派諸教学の要略」
倶舎論の教義に関する二三の疑問
弁長・良忠の鎮西義について
浄土系直談と説話−標題説話の背景(上)
エポロイとホモイオイ
浅井了意著作考
巴里毘曇に於ける禅定について
悪について−「わるい」から「悪」へ
体育とスポーツに対するイメージの尺度作成の研究
北海道における観海流事始め
デュルケームの集団意識に就いて
十七条憲法に於ける仏教思想
法華統略における仏身観
SPEECH AND THOUGHT PRESENTATION IN MARIA EDGEWORTH AND JANE AUSTEN
元の征東行省に就きて
真宗の神祇観(上)
摂理と自由
精神薄弱児の人格的適応に関する研究
韓国の葬送儀礼−慶尚南道内谷里の事例
カール大帝時代の文化とその特徴
伝法潅頂聞書 写本
荷澤神会の無念禅
群生真低の法蔵−光台現国の考察
原始真宗に於ける荒木門徒の研究
芭蕉文学の奥底にあるもの
入楞伽経の原典研究−梵文「現証品」「如来常無常品」「刹那品」「変化品」和訳・梵文訂正
真宗における神祇観の変遷
末法思想を動員とせる鎌倉時代の展開
ルソー教育論における宗教の問題
浄土信仰の内面性
伝教の四宗相承と其の統一
浄土教的実践の問題
親鸞における末法観の構造
偏方不定教について
平家物語における源空の説法
劉孝標の「弁命論」について
法華寺の三「嶋」院について
「和」の現成
藤原実資における仏教信仰の立場−念誦堂を中心に
東坡居士のことども
??川仁岳の異議
SAMUEL TAYLOR COLERIDGEの想像力と空想力との区別についての一考察
三心釈について−深心釈を中心として
仏教伝来と仏像の伝説−光るほとけ
浄土系直談と説話−標題説話の背景(下)
「吉原新話」試論
出羽名義考
埋経と仏像
大乗仏教の課題に応える浄土教
実存的「生成」について
ハイデガーにおける形式的告示の形成過程
頓成の宗学体系
アメリカ教育における私立学校から公立学校への移行について
玄賓説話考
二分脊稚症児と保育マネージメント
『教行信証』における「光号因縁釈」の位置について
龍樹大士の宣顕し給ひし摩訶衍の宗要
新資料「天狗物語」と「平家物語」との関係(前)
真宗中興の志願−とくに蓮如の本願寺再興について
無住涅槃としての転依−無性造「摂大乗論註」第九章の解読
仏像の出現をめぐって
無相文雄師の戯著
釈尊と大乗教
宗教的行道としての「観」
滅盡定について
時間
若きトーマス・マンのイロニーに関する一考察
無三宝処への道
近代日本にとってのエチオピア−昭和初期における経済的関心とヘルイ使節団来日を中心に−
自然必然性、先験的自由、実践的自由 上下-カント理論哲学から実践哲学へ
精神論としての「法聚論注」及その改訂版
仏教と日本文学の接点への一考察
斉周の道教像
分位縁起の正当性に関する「順正理論」の議論
入菩提行(BODHICARYAVATARA)の所説による寂天の著述の決定と、それに引説せられたる龍樹の著書に就いて-第5章105〜7偈の解釈

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