船橋随庵の履歴書−史料紹介−
幕府代官・行方隼人について−流域に生きる人々−
大久保七郎左衛門が富田氏へ砲術指南−流域に生きる人々−
干潟耕地に生涯をかけた岩瀬為吉−流域に生きる人々−
船橋随庵とその治水・開発策
愛媛県西条市「加茂川橋」の変遷について
明治初期における千葉県の内水面漁業 上,中,
「利根川東遷」という幻−思想論的東遷批判と戦国期の利根川−
北総における妙見菩薩の分布とその像容
昭和初期の木更津築港と海面埋立について
「塩原太助の出店誓約証文」再考
南北朝期の千葉と交通
美術から見た千葉町の成立
野馬奉行綿貫氏支配の牧と牧土-調査研究報告
川名登先生と近世史料調査
川名登先生と境町史のことなど
川名登先生と利根川文化研究会
川名登先生と千葉の歴史を知る会
川名登先生と古文書講座
川名登著「近世日本の川船研究」(上)を読んで
市と市神−大会記念講演−
新河岸川における河岸の成立と発展について−特に河岸の立地条件を中心に−
播州加古川の川船
近世利根川上流域の刎橋と村々の負担
渡良瀬川下川田河岸と館林藩
水文化と川魚の民俗−群馬県邑楽郡板倉町の事例から
中世国境河川地域の生業と紛争−群馬県指定重要文化財・相川考古館所蔵「石倉文書」−
利根川東遷とは何か−川名説への試論と、東遷論における用語使用の矛盾についての考察−
利根川水系の船図面による造船技術−非文字資料読解の一事例として−
日本最初の閘門式運河か−誕生川運河−
民権家関戸覚蔵と常総の自由民権運動
船橋随庵の史実
船橋随庵関係年表
笠間稲荷神社所蔵の関宿城絵図について
明治後期における河岸問屋雇船による肥料輸送−埼玉県新河岸川筋下新河岸伊勢安雇船を中心として−
嘉永・安政期における新河岸川舟運の動向−船持船頭の動向を中心に−
東総屈指の私塾を開いた人・宮内君浦
人物博物館と展示=伊能忠敬記念館の紹介=
近世初期の元荒川上流部河況
近世・関東に於ける「時の鐘」について
「半七捕物帖」と岡本綺堂の江戸情報−半七は実在したか−
利根川蒸気船交通史研究ノート 1,−明治五年七月、利根川丸、布佐、銚子間に就航す−
青龍権現老樹の「物語」−鬼怒の畔にみる戦後教育の原点−
利根川資料館
海の舟と川の船
日本海の小型和船
中国地方の川船
水押の優越−瀬戸内海方海船の広域伝播
利根川及び近隣水域の和船関連資料について−高瀬舟・五大力船・投縄船・揚げ船−
九十九里浜の木造船−聞き取り紹介−
小見川藩領・言字極印船関係資料について
利根川下流域と相撲
川名登氏と河川交通史の研究
川名登氏と下総国学研究
川名登氏と房総里見氏研究
川名登氏と地域史研究
川名登氏と三浦漁村史研究
川名登博士と海上町史
戦後東京湾干拓をめぐる民衆動向
日記を書く農民 増田実−流域に生きる人々−
さいたま川の博物館
THEOLOGY AND HISTORY
心伝述證録
間宮林蔵の「カラフト図、蝦夷図」はなぜ先輩、上司の名で発表されたのか−その謎に迫り、真相を解明する
弘化四年 河岸問屋小松原家日記を読む 1,2
栃木市巴波川周辺の景観整備事業
旧利根川の御厩領関について
鬼怒川水運の変遷過程に関する一考察−宇都宮藩の川舟・河岸運上規定の確立を中心に−
雄物川上流の在郷商人記録−史料紹介−
吉田河岸を尋ねて−流域紀行
史料紹介 関宿藩船橋随庵文書 関宿城地用悪水路之儀ニ付村嘆願之案
史料紹介 年不詳・下総国猿島郡境町明細帳
広瀬武著「公害の原点を後世に−入門・足尾鉱毒事件−」
利根川江戸川沿岸の渡船場について
蛇柳考−中利根川河畔の失われた大柳について−
七宝工芸の泰斗・涛川惣助 1−栄光の軌跡−
古河歴史博物館
人間と川とのかかわり方−岡山の旭川を例として−(定期総会記念講演)
河川に面した城郭について−陸上交通との関わりを中心に−
馬橋万満寺の歴史
千葉県香取郡下総町大須賀谷津経塚出土の大治4年銘経筒について 1,2
武州羽生領の悪水処理と幸手領用水
富士川水運の起点-水運開発の所説について-
利根川流域の俳人史料「俳諧画像集」3
大利根用水事業に生きる-野口初太郎技師不屈の生涯-
千葉県立房総のむら-主にソフトの面から-
勢力富五郎の誕生-江戸で生まれた天保水滸伝-
利根川東遷は無かった-近世河川水運の性格について-
高校生と歩く渡良瀬川廃村紀行
睦沢町立歴史民俗資料館
鬼怒川・小貝川の舟運再発見
銚子磯めぐり紀行
松井家文書「先例略記」について-球磨川水運関係資料集の紹介-
堺町を結ぶ吉田用水と戸張五郎兵衛
近世最上川舟運の展開とその特色
旧取手宿本陣染野家住宅
近世相模国の生業と流通-南武蔵と相模と内海-
江戸湾の湊と流通-房総沿岸を中心に-
阿武隈川水運と津出場の設定について
高崎の資料にみる庄川杢左衛門

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