神と神ノマへ
曹洞宗受戒儀式の特色及び起源
インド仏教の中の民間習俗
院政初期の宗教思想
イエスと日蓮の誕生-父なき生殖の観念をめぐる比較研究
末期医療におけるスピリチュアル・ケア-言説分析を中心に-
パスカルのクリスト教弁証論における自然の問題
ジェンダーと宗教 討議記録(要約)
救済史の認識
阿弥陀仏の原型−語源及び文脈よりの一考察−
宗教比較の対象
妙好人の自然法爾的態度について
巫女伝承の宗教民俗学的考察
虎関師錬と鎌倉禅の関係
続・VIPARINAMADHAMMAの深層構造
ドイツにおける聖者崇拝とその習俗
「如救頭燃」について
自然と超自然
オリエント古代都市国家について
西田哲学における「時と永遠」
古代日本人の一つの心性について
ヤーコブ・ベーメにおける言語と言語観
MAHAMUDRATILAKA-TANTRAの系譜
三願転入と親鸞の実存
イグナチオ・デ・ロヨラの神体験-K.ラーナーの解釈を中心として
ボナベントゥラの範型論
19世紀末〜20世紀初の英・独社会における「聖」の生成
山と川の場所性をめぐって
日本的霊性的自覚と大地
経筒の制作と地域性
仏教儀礼と四分律およびパーリ律について
近代における宗教言説への一視角−<意味>としての宗教理解を巡って
宗教経験と宗教の「基礎づけ」の問題
愛知県内の神秘主義を中心とした宗教
恫喝と救済−宗教の言説構造
竹村牧男著「西田幾多郎と鈴木大拙−その魂の交流に聴く−」
垂加派神学者の蔵書形成と門人
大主教ニコライの日本理解−大聖堂の建築をめぐって
哲学的存在論・宗教的無限論・数学的集合論
宗教言語の遥かなる地平
ヤスパース形而上学における実存と超越者の相即性−実存と超越者の一性をめぐって−
日本人の他界観と仏壇・位牌
柳田国男の宗教論とデュルケーム
東学とアジア主義−宗教学から見た近代日韓交流史
ふたりの宗教家にみる<救癩>の主題化と倫理
神なき時代の黙示録−劇画「ナウシカ」の終末論−
合理的選択理論と新・世俗化論争
仏教思想を現代哲学へ導入することに対する論難の批判−仏教的哲学の意義素描−
聖なるものと死
EK-SISTENZについて
中国敦煌学の現段階
古代支那に於ける多神観と一神観
ルターの国家観に関する一考察
セクシュアル・マイノリティと宗教−その問題構成を巡る一考察−
宗教意識の二形態
法華経提婆達多品を中心とした成立史について
曽富理神−古事記の成立をめぐる疑惑
祀職の名称と職掌
道元とニーチェ
鎮源の「本朝法華験記」に関する一考察
N.スマート教授の仏教理解について
R.N.ベラーの無と宗教
「大品般若経」「大智度論」より「次第禅門」への実践体系の展開
宗教的情操教育の展開と矛盾
古代ギリシャの宗教に関する一考察−主にホメロスのプシユケー概念について
クザーヌスにおける「非他(NON-ALIUD)」の概念について
ウダーナにおけるモノローグ的性格
神話から民話へ
イグナチオ・デ・ロヨラの教育観
R.オットーにおける「敬虔」をめぐって
諸宗教への一元的視座の構築・試論
「方便心論」において見受けられるヨーガ学説
終末時現象と啓示−ケベックでの国際マリアフォーラムに参加して
宗教的意味について
他者の宗教体験の理解可能性について
大規模調査の実施と手法
「宗教」概念の意味について
太微仙君功過格と浄明道の関係
井上隆弘著「霜月神楽の祝祭学」
日本と韓国における戦後のキリスト教とクリスマス
宗教言語の可能性と限界
時衆教学における機法一体について
末木文美士著「他者/死者/私−哲学と宗教のレッスン−」
八木誠一著「イエスの宗教」
「自然葬」という人為-葬儀用語整理の試み-
暦における世界創造のイメージ
台湾先住民族の宗教生活の現状−予備的調査の報告を中心に
<生命>の発見−岸本英夫晩年の「宗教」−
終末予言の無意味化−オウム真理教の場合−
現代蒙古青年の宗教意識
インサイトメディテーション−現代社会に適するアメリカ仏教の一派−
日本冥界訪問説話の儀礼的背景
神の「審判」と本願の「唯除」
宗教と政治
神道各教派の朝鮮布教-総督府統計資料にもとづいて-
立山信仰と女人禁制
大日経品目
中国における「祖先」の語について
経済的正義と宗教学−センの議論をめぐって−
ボナペントゥラの照明説について

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