物象化(論)と意識の宗教学的批判
信仰の言語と意識
J.P.クリアーノのグノーシス研究
沖縄県多良間島の寵神信仰
プラトン「プロタゴラス」篇におけるミュートスについて
大江正房の願文と転輪聖王
外国側文書に記されていない迫害下のキリシタン遺物
種的社会の展開−田辺元とフランス社会思想−
普寂の大乗仏説論
加賀国石川郡富樫郷住吉村の観音像と由緒書
阿部年晴・小田亮・近藤英俊編「呪術化するモダニティ−現代アフリカの宗教的実践から−」
WIMATAKTU王と閻膏珍
中牧弘允・日置弘一郎編「会社のなかの宗教−経営人類学の視点−」
もののけ考-「源氏物語」から「もののけ姫」へ-
宗教学の成立に関するエリアーデの解釈について
ゾロアスター教徒パーシーの聖なる火と集団構造
スピリチュアルペイン−その宗教的課題−
阿?d仏国経に於ける浄土の意義
本康宏史著「軍都の慰霊空間−国民統合と戦死者たち−」
神道祭祀における主と客
信仰の諸類型
神観に就いて
氏子の意識について
日本浄土教に於ける倫理性の根拠
ターミナル・ケアにおける宗教的援助の在り方
ジェイムズの思想における宗教の位置
「いのち」はいかに表象されてきたか−現代の事例と概念−
安井てつに関する一考察
宗教の起源としてのフェティシズム−その宗教学的意義と可能性−
ギリシャ悲劇の宗教性について
国意考論争についての一考察
仏教における出世間的性格の問題−仏教における改革の思想(1)
トインビーの宗教観について
初期永平寺教団における義介の立場
蓮如の説教と触穢
神会の年齢に関する一考察
宗教の伝承−柳田ブームをふりかえる
DE VERA RELIGIONにおける罪について
カントの神とヘーゲル哲学
日系キリスト教徒の宗教意識と民俗意識−カルフォルニア州サクラメントの事例
パウロにおける神の予定と人間の責任
冬送りの行事とユダ
グレイマスの記号論と聖書釈義
チベット仏教史における戒律の受容について
四縁説について−特に瑜伽行派において
日蓮とカトリック神学−その包括主義について
仏教における少欲知足について
「L.ソンディとモルフォロギー」
ベトナム戦争とエバンジェリカル誌「クリスチャニティ・トゥデー」
道元禅師と諷経の儀軌
ルイスの妖術を使うシャーマンとソクラテス
直感と教説−F.マックス・ミューラーの教典論
千年王国論的民衆運動−歴史と神話についての宗教学的考察
東南アジアの「日本」宗教
内裏をしのぐ武家の宮殿
プラトンと密儀
近代日本における普遍主義と個別主義−明治宗教思潮の一断面−
鈴木大拙における霊性の検討−キリスト教の視点から
否定する愛−田辺・波多野・マリオンと存在愛論−
小川泰堂の思想について
ヤスパースにおける実存的交わりの形成
カール・ベッカー、弓山達也編「いのち 教育 スピリチュアリティ」
善導の人間観について-慧遠「観経義疏」と比較して-
精神分析における物語行為と倫理的自己変革
ネパールのマンダラ儀礼-師マンダラ供養-
真宗とカウンセリングの統合について
有自性論に於ける仮説と唯識論に於ける仮説に就いて
奥野義雄著「祈願・祭祀習俗の文化史」
人間ゴータニヤ神格化
確からしさによる信-ラプラス中心に-
塔と廟について
ヨーガ学派における認識論
生命の発生に関わる技術と宗教−仏の命と人間の命をめぐって−
沖縄における祖先由来記の作成をめぐって
正義を懐胎する原儀礼的感性−他者をめぐって−
慈恩大師の維摩経観
天理教原典IIIとその歴史的背景
R.ニーバーにおける罪と悪について
方丈記における無常
J.ロックの奇跡論について
一遍聖と参篭について
「真禅融心義」について
修験道と陰陽道
キルケゴールにおける自己の構造について
ジュアンセニウスの方法序説−「アウグスティヌス」第二巻序説−
「般若経」における十八不共仏法について
エマソンにおける魂について
儀礼の音の諸相−アフロ・カリビアン・カルトを事例として 1,2−
北米における新新宗教の受容−崇教真光LA小道場の場合
存在と知性−エックハルトにおける「神」の問題
法華経「方便品」に於けるNIRUKTI
プラトンにおける神の概念 1,2,
聖地と共同体
宗教学と神話学の生成と展開
戦後台湾における日系新宗教の活動状況
十七世紀「理神論」前史の底流−フランスにおける懐疑論の流行
婦人雑誌と新渡戸稲造
内村鑑三の回心についての一考察
時間と他者−レヴィナスと波多野の比較考察−
高句麗時代定陵寺伽藍の構造と思想基盤

成田山仏教図書館蔵書目録総合リンク集へ戻る
成田山仏教図書館トップページへ戻る