後期ウィトゲンシュタインにおける「私的言語」をめぐって
メディア芸術と宗教性−白南準の場合−
富士山信仰と法華信仰
宗教としての<親鸞>思想
善導教学における懺悔考
宗教的シンボリズムとしての身体と宇宙の照応-盤古神話を中心として
カースト制とインド宗教
日本におけるターミナル・ケアと宗教
仏教典籍上に於ける高麗義天の事業及其価値
高原豊明著「晴明伝説と吉備の陰陽師」
古ウパニシャッドに於ける「般若」の研究
パーリ語の故郷の教団史的考察
ミルチャ・エリアーデにおける神話と創造性
日本古代の祭政関係について
御蔵法門
韓国仏教の胎中生命保護運動−中絶防止教育と仏典理解−
いわゆるパストラル・カウンセリングの宗教的基礎について
浄土真宗における(青)少年教化
陰陽道の調伏について
ルターの罪悪観
明治宗教史の時代区分
太玉串について
天理教原典IIIより見た心
ニーチェにおける「誠実」について
西津軽・鯵ヶ沢における宗教について
浄土教とヘシカスム−光明について
華厳と密教との接点
古代日本人と「自然」の問題 1,2,
トマス・アクィナスの創造概念
宗教における根源的経験の意味
カルフォルニアにおける日系人コミュニティと日本宗教−金光教とNASAの事例を中心としながら−
ルターと煉獄の問題
「大品般若経」における智慧と無我について
ブーバーにおける「基本語」GRUNDWORTと「根源語」URWORT
「宗教多元論」再考
陰と陽のシンポリズム−台湾・台南市の事例から
神秘主義と社会変革-トーマス・ミュンツァーの千年王国論をめぐって
鎌倉期往生伝に関する一考察−親鸞の不来迎義に関連して
コギトと自己意識の系譜-デカルト、サルトル、アンリ
ヴァン・デル・レーウの人間学における宗教の問題
宗教とは何か−宗教の定義の問題
現代タイの都市仏教における伝統と改革
啓蒙かイロニーか−宗教学と批判的思考のモチーフ
近代曹洞宗における尼僧史の意味
内村鑑三における「実験」的聖書理解とその動機
みかぐらうたの救い
野村伸一編著「東アジアの祭祀伝承と女性救済−目蓮救母と芸能の諸相−」
智??の「維摩経」解釈よりみる通相三観説の成立について
<ポスト哲学的>思索と<宗教的なもの>−現代フランス哲学と京都学派の哲学から−
親鸞における真実証について-難思議往生の内実として-
宗教体験と光のシンボリズム
三猿信仰の分布と起源
「脳死」臓器移植と真宗−「坊さんの小箱」アンケート調査から−
神学に於ける「神と人間」の問題
漢訳法華経の有翻缺本に就いて
松本史朗著「法然親鸞思想論」
聖徳太子の観音化身説について
ハリバドラの中観瑜伽説
コスモゴニーとしての「たたり」
道教と庚申待
宗教の存在論的根拠と現象
道元における「諸法実相」の巻の意義
シンボルとしての樹木-墓上植樹を例として-
自死
第四福音書プロローグにおけるロゴス・イエス
怪異と物忌
王朝寺院の復興
将軍宣下と陰陽道−池田昭氏のマナ説をめぐって−
天理教の伝道と他宗との接触関係
憲法十七条における三毒排除の条項
ヤスパースに於けるZWISCHENSEINについて
流人と僧侶
「歎異抄」の受容の史的考察
「五部心観」の印について
罪と罪を除去する文化と祈りの構造
アンセルムスの立場の特徴について
ミンツァーとデンク−“ORDNUNG”観をめぐって−
神学の人間学的基礎づけについて−パンネンベルクを中心に
「般若経」における四句否定の根拠としてのADHAVASVABHAVA
元明太上天皇の葬儀が意味する葬送儀礼史上の断絶点
ネパール写本対照による「唯識三十頌」の考察
BRAHMAYAMALAにおけるDIKSA
「共有された時」の思想
幻覚性飲料とトランス−ブラジルの事例から
若きヘーゲルと近代の信仰
「歎異抄」第二条の位相につきて
デカルトにおける無限の概念
宗教学と政治性−デュメジルのゲルマン宗教研究への批判について
フランスの新宗教運動−現状と課題
ミャンマーの葬送慣習-SSMNC議長、バゴーミョウマ長老の国葬-
可能世界論とキリスト教-A.プランティンガの宗教哲学
宗教指導者の配偶者に関する考察−役割葛藤を中心に−
「十住毘婆娑論」における罪と畏れについて
地域の経済・生活秩序の変容と信仰受容の諸相
政教分離について−戦後の神道問題論
根拠なき信念再考
サイバースペースにおける宗教性
吉蔵の「二諦」の理解について
「善宝寺龍王講だより」にみる信心
無心、信仰、スピリチュアリティ−「抵抗の拠点としての無心」に向けて−

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