綱島梁川の宗教的人格について
自我の問題−ジェイムスの宗教観を中心として−
三位一体論について
死と情念を巡って−ニュッサのグレゴリオスの「パイドン」読解−
宗教における真理概念について
これからのキリスト教と仏教との対話
火の神話−亀卜と火神
天岩戸と鎮魂祭
聖の経験とその根底−ルドルフ・オットーの所論をめぐって
引導口決 写本
宣長「遺言書」の再考察
仏教における発心の因縁
体と宗について
イエス生誕物語の形成
覚如における信心と念仏
神仙と仏説(「竹取物語」より)
神秘神学の言葉−十字架の聖ヨハネの一局面
ヨーロッパ神秘思想と自然−ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの場合
関わりの「究極性」とダイナミズム
「歎異抄」第十三章とペラギウス論争
イスラムから見る「他者」像
教典論の新しい可能性
ミンネザングにおける女性
盤珪「不生」の周辺
西田哲学における神の観念について
「安楽集」に於ける文章形態の特色について
平安時代初期における宗教と死
メーヌ・ド・ビランにおける自我と身体
N.ハルトマンの道徳現象論における無神論について
ヴァン・デル・レーフにおける「精神生活の諸層」について
東アジア世界における日本近世の「世俗化」
キケロ「友情論」の12世紀キリスト教思想への影響-アベラールとその周辺
韓国宗教の危難性−仏教とキリスト教
神秘家ジェーン・リードにおけるソフィア像をめぐって
中国における受戒の意味
信仰と歴史の問題−キェルケゴールの立場−
臨終行儀の実態という概念
親鸞と道元との宗教的自覚の問題
川野明正著「中国の<憑きもの>−華南地方の蠱毒と呪術的伝承−」
責任の無限−レヴィナスの思想について−
当麻曼荼羅講讃と中世仏教
ハイラーの宗教思想と宗教運動
新宗教運動の教団ライフコースにおけるカリスマの死と継承
古墳をめぐる祭祀儀礼の終焉
近代仏教関係史の一側面
近代日本の国体思想
ナショナリズムとマイノリティー-エジプトの事例から
宗教研究における情報インフラ
「宗教」と「理性なき人々」
仏教学と宗教学−アカデミズムの知と制度−
われわれ死すべき者たち−ハイディガーの後期思想−
死の主体的な所在と扱い
無住涅槃と法華経
住信の浄土思想
神仙伝統考
中国に於ける観音信仰と偽経
今昔物語集における仏教説話の様相
大疏第三重第一如意蔵
「神への帰還」と祈り−プラトニズムの伝統から−
究極的関心について
キリスト教と文化-(仏教文化研究の立場からの)応答-
佐渡の庚申信仰
後期シェリング哲学における絶対者
出雲神話の複合性
口寄巫俗の宗教民俗学的考察−巫業を通して観た口寄の時季について
原始仏教における愛と慈悲
大涅槃経にもられた諸部派の思想
グノーシス主義の社会学的考察法について
続・感情語と比喩表現−スッパニータから
鈴木正三の説く土禅門の意義内容
奥熊野の岩石信仰
古代オリエントの創造神話の論理
スピノーザ哲学における倫理
古代中国の宗廟祭祀における「神」の所存
シュライエルマッハーにおける宗教的実在
予定説と「天の書」−クルアーン13章39節の解釈をめぐって−
大雄山最乗寺における仏教的複合について
ホメロスのデメテル讃歌について
西田哲学における自覚の問題
一貫道について
「源氏物語」にみられる神秘感
アショーカ王の時代
人間の三重の生−シュベンクフェルトとベーメにおける
フッサールの相互主観性論と菩薩像
生活改善運動と人生儀礼
A.ジャドソン編「ビルマ語式文」(1836)
バルト神学の方法をめぐって
Q.クールマンの預言的幻視について
精神性(CAITANYA)考
ゾロアスター教における聖地の概念−神官階級の「移動する聖火」と平信徒の自然崇拝−
新発見・七寺蔵十六巻仏名経について
モダニティと無縁の身体
胎蔵曼荼羅の如来身会(衆徳荘厳尊)について
ユベール・モース供犠論の生成
明治期の由緒書上にみる民俗宗教的世界
身体の「法華経」化、「法華経」の身体化−持経者と日蓮−
四国遍路における地域の活性化
サイバースペースの宗教的活用−現状と可能性
高山樗牛と宗教的回心
現場からの仏教再生運動

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