THE NEW ENGLISH BIBLEに見られる使徒行伝第10章44節の翻訳について
地獄秘事の本源
日蓮と天台本覚思想
ラマ教図像の一考察−金剛薩?B(VAJRASATTVA)と持金剛(VAJRADHARA)を中心として
ボードーパヤー王の宗教政策
インド仏教教団における在俗者ARAMIKAの考察 1,
面上傍人弁裏書
現代スリ・ランカにおける仏教と民間信仰
密語 密人の相逢す−「正法眼蔵密語」における語話−
宗教と文学−三島由紀夫の場合
小島曼荼羅・金剛界賢劫十六尊について
西田哲学における神と意識
ヤスパースの神秘主義的「沈黙」
宗教的寛容の視座−ロックにおける「信仰」
祭の変化と祭の意味付け−その関係についての事例報告
役割としての聖職
外来宗教と民俗宗教とのダイナミクス
シャンカラにおける(非)存在
キリスト者の家庭的教会の伝統
ヨーガ行法における巫法について−巫法から三昧へ
西谷幸介著「宗教間対話と原理主義の克服−宗際倫理的討論のために−」
日本古代の災異観について
スピリチュアリティの概念構造について
浄土真宗の生命観
即非の論理と絶対矛盾的自己同一
臨終表現への依存
「理趣経」付加句をめぐる諸問題 2-合殺についての一資料-
縄文土偶の故意破壊説をめぐる議論の問題点
聖徳太子信仰における太子の移り香
メソポタミア神像の誕生と死と再生をめぐる儀礼
西欧中世の黙示録と死生観-死後世界説話と聖堂彫刻の終末思想-
「ジェンダー・センシティブ」な宗教学にむけて
ティリッヒとエコロジーの問題
中世林下幻住派の密参録の特質について
菩提心について 1,2
神の存在の証明
無量寿経論注に説示せられる願生浄土の思想に関する両つの見解
歴代史略に対する一考察
トレルチの宗教理論について
禅体験の一特色とその含意
キェルケゴールと敬虔主義-シュペーナーの教会改革との比較-
オーロビンドにおける絶対者の追求
日本的基督教
在家信者の不淫
カントにおける崇高
西谷啓治の宗教哲学における神秘主義研究の意義
回心現象の再評価−人間形成との関連において
神社信仰伝播の一例−平安時代八幡の場合
パウル・ティリッヒにおける愛と正義
ベイコン哲学における真理の二面性について 1,2,3.
聖者性研究の問題点
創価学会に見る現代日本宗教の特質
東溟遺稿 1巻
秩父市上町会における祭りの構造
インド、パキスタンにおけるイスラム研究の動向
二十五三昧会の発起について
ソ連・モンゴルの仏教
SANNYASA(捨離、遁世)考
「宗門十規論」の意味するもの
南方仏教における潜在意識
花はどこに咲いているか−BUMP OF CHICKENにおける宗教性の発露−
日本人の宗教性とキリスト教の救い
宗教と経済倫理再考
密教経軌における真言文について
絶対無と神−西田哲学を中心として
ヘーゲルとヤコービ(ヤコービの「無神論者」宣言をめぐって)
倫理思想としての永遠回帰の思想−FW・341解読
プラトンの霊魂論とエピステーメーの概念について
五島奈留島道脇増太郎オラショ本の研究
チヤンキヤ一世の一小論について
島薗進・磯前順一編「東京帝国大学神道研究室旧蔵書目録および解説」
R.オットーのヤームナ研究
現代ドイツにおける信仰の在り方についての一考察
「律蔵」における破僧と部派分裂
稲垣久和著「宗教と公共哲学−生活世界のスピリチュアリティ−」
禅の時代
明治時代の宗教と新聞−祭神論報道における神道非宗教論の確立−
補陀洛渡海僧・日秀の遺品
滝沢克己における不可逆概念の形成過程について
「いのちの敬虔の思想」における死の問題−神道はニヒリズムか−
大乗涅槃経と法華経
近世陰陽道思想の猥雑性とその残滓−河内・陰陽戸を中心として
藤樹晩年の書簡に見えたる本體と良知について
時衆教団にみる臨終儀式
日本的習合宗教と単一神教
T・ドライバーの儀礼研究におけるリフレクシビティー
大慧禅と「大慧武庫」
満されざる主体 1,2−カントの道徳的宗教を背景として−
氏神の他信仰摂取の問題意
S・キェルケゴールの信仰における<不条理>と<逆説>
二種の絶対−創造の問題−
「大安般守意経」における十六勝について
ティリッヒ宗教論の一考察
わが国初期の信教自由−「信教」の用語例についての一考察
信仰と同時性−ルターとキルケゴール
十九世紀の敬虔覚醒運動とキルケゴールとの関係
絵画作品の諸問題
J.WACHの<思想経験>に関する二、三の問題
ヴァージニア邦における信教自由法成立についての一考察
ヨーロッパにおける巡礼について

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