彫刻と彩色で飾る日暮御門
編年体御所目録に関する一考察
儒教再考−儒教の宗教性をめぐって−
宗教における救いの問題
「教行信証」における善導「自信教人信」(往生礼讃)の文の意義
パウロにおける人間の死と復活と栄化
長福寺本両界曼荼羅について
「信念」概念の再考−米国の保守福音派キリスト教徒を事例に−
聖書の贖罪精神と地-新英語訳聖書の翻訳を中心として-
刀剣における宗教性の考察−神道・仏教との関係
ヤスパースと世界史の軸
イエス・キリストの右手の優越性を示す義と聖とあがないについて
日蓮の「立正安国論」における「選択集」批判
パスカルに於けるDUPLICITEについて
仏の超越性
初期ユダヤ教における「賢者」と「書記」
階層分化と宗教の役割
宗教における寛容と真理
天台智??教学における毒発義をめぐる一考察
宗教的シムボリズムについて-その誤謬を中心に-
トランスパーソナル心理学の諸問題
宗教的布教におけるコミュニティ・オーガニゼイションの作業
廬山慧遠における道の究極
薄後重口決
入楞伽経における「不生」の意味について
最初期仏教の修行者−かれらの詩歌を中心として
天理教原典IIIの神観
有神論と仏教の立場
18世紀英国哲学における宗教論−D.HUMEにおける迷信とENTHUSIASM
金沢文庫所蔵の日本達磨宗の文献について
教団の近代化
言語作用の二面性−解深密経に見る一例
THUPAVAMSA考
北宗の「観心論」について
“隆闡法師碑”における一、二の問題
ファビアンの仏教理解
人間学的唯物論と宗教
黒住教における還霊式について
「霊異記」における霊力信仰の諸相
法然「十二箇条問答」における本願思想
紀元一世紀ユダヤ独立運動におけるアグリッパI世の役割
キルケゴールとティリッヒ
ベルナルドゥスの聖母論
シェリングの自由論−個体的自由と基盤的人間把握
唯識比量における「法自相決定相違」について
百法明門論の一考察
チベットにおける仏教の現状について-阿里地区の石窟を中心に
真宗における自然法爾の研究
行歴僧伝研究とアフガニスタン新発現資料
巡礼研究会編「巡礼論集 1−巡礼研究の可能性−」,「巡礼論集 2−六十六部回国巡礼の諸相」
千田智子著「森と建築の空間史−南方熊楠と近代日本−」
華人系祭祀の変容−プーケットの「菜食の祭り」をめぐって−
中観派における声聞の位置−「入中論」における声聞の法無我理解
「天地始之事」にみる潜伏キリシタンの救済観
親鸞の歴史観について
ユリアヌスの「葬儀と墓地に関する勅令」(三六三年)にみる死生観
六祖壇経考
米国における「人間性の宗教」の展開
<他界>をめぐる宗教的表象−19世紀日本における
ヤスパースにおける信仰と包越者
キリシタン史上のアンロジーについて
仏陀は凡夫に内在するか−日蓮教学からの−
カントの神の存在証明の問題−理論的側面に於ける批判前期と批判期の問題−
正法華経に於ける成立史的諸問題-梵志品を中心として-
新約聖書におけるイエスの裁判について
鹿児島県佐多町郡の氏神祭
ジェイムズの宗教思想と根本的経験論
信仰自由の発生-明治憲法28条制定の事情について-
弥陀弥勒両信仰について
浮雲
神の認識の方法
宗教心理学と自己の問題-発表に応えて 1,2-
瑜伽の起源とその発達
神道系新興宗教における崇拝対象に関する一考察
瞬間と刹那
ライプニッツの悪
意志の規定根拠との関連における欲望の問題
性起と性具
陰陽師系宗教者について
真宗初期教団の形成と異義
耶律楚杙の仏教
「二時課誦」の原形と変遷
本願の研究序説
近世律宗の僧−賢俊良永とその門流−
災害時の行動と信仰圏
西周の教門論
ウェーバー「倫理」論文における宗教理解
戦後における創唱神話の歩み
源信の法華・涅槃経引用−往生要集・一乗要決を中心として
「一言芳談」にみる仏道、習道観
ギリシア壷絵におけるディオニュソス神の正面性
キルケゴールとフォイエルバッハ
「内面の城」−アビラの聖テレジアの「魂」把握
ニーチェ「生に対する歴史の利害」についての一考察
智??の初期における菩薩禅観
「無畏」「仏護註」「般若灯論」相互の文献上の問題
新百人一首
ネパール仏教における供養と観相法
「唯信鈔文意」改訂の考察
全体会議1「戦争と平和、その宗教的要因」報告

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