「事円」をめぐる問題再考
親鸞における獲信の内実
シナイの聖カタリナ修道院院長ヨアンネス・クリマクスの「静寂」
雑誌「朝鮮仏教」にみる肉食妻帯問題
シュンガ王朝の宗教政策に関連して
ロシアにおける政治と宗教
花水祝考−越後の小正月行事から他界観・水の民俗に及ぶ
E.M.シオランの懐疑と神秘主義
キリシタンにおける〈新しい信仰〉
体細胞ヒトクローン−真宗的立場からの一考察−
我国に於ける鏡背文様とその宗教的背景
黎明期に於ける宗教学の問題
日本神話の研究−天武丙戊(681年)に於けるその形成と潤色−
ローマ書八章二十九説における予知の意味
ゲーテに於ける神の概念
仏滅年代の資料
ベルジャエフにおける神と人間
シュリーチャクラにおける女神の配置について
明治初期におけるキリスト教批判
議論の要約
ルドルフ・オットーの聖について
宗教の哲学的研究のための予備的考察
宗教思想研究の方法について−解釈と理解をめぐる一考察
因果と契約について
M・シェラーにおける宗教的働き
D.ヒュームの神観念について
「一言芳談」における道理について
絶対者としての「仏」について
元暁の涅槃経観
宝地房証真の戒律観
智??教学と老荘思想
大乗経典における仏伝的投影について
身心脱落と心塵脱落について
身延山信仰の一形態−一切経の寄進をめぐって−
西行の月の歌にみられる心的葛藤
明治の仏教教団形成期における結社活動
ドイツ普及福音新教伝道会について
谷地八幡宮の一山組織−特に六供を中心として
源信における「善知識」の問題
専修念仏宗へのスキャンダルと法難
ソクラテスに顕われた、ダイモーンの声
P・ティリッヒにおける宗教的認識
神の探究−十字架の聖ヨハネとアウグスティヌス
純粋経験と「無意識」の問題
摩訶止観 10巻
「弁財天経」と「大荒神経」
インド新論理学におけるSVARUPASAMBANDHAについて
初期ジャイナ教の祖師研究−転輪王のRATNAについて
歎異抄における摂取不捨の利益の問題
斉藤英喜著「いざなぎ流 祭文と儀礼」
深草元政にみる戒律受容の一側面
近現代日本における心身実践と宗教−対抗文化から「精神世界」へ−
親鸞における造悪無礙批判について
弟子像再建築ブームに寄せて−マリア福音書とユダ福音書−
壇君の包摂−韓国宗教に対する日帝の学問的な牽制−
アショーカ王のダルマの政策について
軍隊における宗教と宗教性
土俵祭の現況
ショーペンハウアー哲学における「信」の地平
日本人の見立ての伝統とキリシタン
近現代真宗思想研究−新約の三類型説に於ける親鸞浄土教−
仏造像創始への経過-仏像起源考序説-
聖アウグスチヌスに於ける理性と信仰 1,2,
宗教的人格の研究
教育愛と宗教愛との関係
原始キリスト教の現在的終末論-エリアーデ批判を手がかりに-
美辞論
塔寺について
悪について-ガルディニの所論により-
浄土教における来世観-儀礼形態論的に-
マンダラにおける数の美学的考察−HEVAJRA-TANNNTRA第1章−
キリシタン研究資料に関する考察
宗教調査の方法の再検討
哲学的信仰と啓示信仰
大慧の黙照禅批判と曹洞禅
大乗における帰三宝の趣意について
宗教研究の方法−日本における宗教学の歴史と課題
宗教に対するヤスパースの態度
スピノザにおける「信仰と理性」の問題
「鹿島問答」にみる中世念仏系仏教
J.WACHにおける「理解」の概念
金剛?逖_と正法眼蔵説心説性の巻について
中世禅宗史研究と禅箱抄物資料
朝鮮仏教に於ける八関斎会について 1,2,
SACCAN SANKHEPAの色分別
日蓮撰「注法華経」成立についての一試論
「サワリと時間」に関する一考察−釜石と敦賀の比較において
モリ供養と禅宗寺院についての一視点
カントにおける自然と究極目的について
九州有明海の補陀落渡海−雲仙修験との関係について
看話禅と現象学的エポケーについて
現存坂東本「教行信証」の欠落・欠損部分について
帝政期ストア派と自殺
時の中での永遠−エロースに於ける不死の問題
アンセルムスのHUMILITAS論
現代詩と否定神学
王日休「龍舒浄土文」の研究 2,4,
「十住毘婆沙論」における律典の引用
ジャイナ教と仏教における「諸悪莫作」について
「三部経大意」と「登山状」

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