メルロ・ポンティにおける「栄光の身体」について
現代に生きる愛知県内の教団
仏教におけるターミナル・ケアの問題点−中有の思想を中心に
ラーマクリシュナ・ミッションの日本伝道について
大山崎大念寺来迎仏像の胎内経典について
近代日本における憑依の系譜とポリティクス
日蓮研究に関する方法論的試論−「こころみ」の宗教−
管見一貫道の現況
唐代仏教者の宗教観(教判)について−慧苑と澄観を中心として
原始仏典における老いの説示について
日本におけるヒーリング・ブームの展開
宗教的対話論
神道の神観念について-異邦人の神道理解の為のメッセージ
マイスター・エックハルトの実践的人間像の理論的基盤について
ハワイ日系移民社会における日系新宗教の展開
『新仏教』と「信仰」
山-西田哲学をよむということ-
ドイツ敬虔主義における私的信仰圏の生成
永井隆における原爆災禍−従軍体験と職業被爆に注目して−
レヴィナスにおける「道徳」
文覚・上覚と明恵
「神道」考-上代神仏関係の一句-
宗教的態度の比較調査−日本とアメリカの学生を対象として−
教行信証の行信化三巻の組織関係
教団の組織について
我国における星辰崇拝について−12、13世紀を中心として−
広弘明集 11〜30巻
フランス革命期の女性-ジュリー・ビリアートと教育-
行に関する二、三の問題−仏教の心理学的研究の提唱として−
カーディナーにおけるパーソナリティ理論と宗教の問題
日本神話異伝の研究-大国主の諸系譜と祈年祭-
「論義鈔」の諸本比較-六巻本と八巻本
「親鸞の方便」理解
議論の要約
わが国における宗教研究の方向
絶対無に関する諸問題
往生要集に於ける源信の念仏について
仏教における人間観の諸形態
木下尚江の二つの回心−彼の生涯と思想における仏教の役割についての試論−
初期ヘーゲル哲学におけるキリスト教解釈
独歩の宗教観
宗教研究の方法論的問題再考
第一テサロニケ4−15について
シヴァ教・パーシュパタ派の認識理論−カウンディニヤにおける
宗教の諸型
西明寺円測における止観
道元禅師の発心思想−特に二種身心の発心について
「六道参り」の信仰形態
親鸞における往生の思想
根源的経験の究明
授戒儀式と袈裟
文机談 1〜5
熊野比丘尼考−その組織形態の一考察
デュルケムにおける宗教と科学
加賀来教寺と金毘羅信仰−山廻役高畠家の盛衰に関連して
「日本霊異記」にみられる慈悲行について
「法蘊論」「雑事品」の性格
ロバート・グロッステストのキリスト論
高校における宗教教育の現状−全国私立高校宗教教育調査から
他者・身体・コミュニオン−マルセルとメルロ・ポンティ−
婦人のネットワークと信仰活動
蔵俊著「法華玄賛文集」に関する一考察
クリシュナムルティの教団批判
島地黙雷の真宗理解
天理教における「おさしづ」と本席体制−歴史の記述と憑依−
中世日蓮宗における談議と聖教
土屋博編著「聖と俗の交錯」
祈りに関する調査
禊教と白川家
マイスター・エックハルトにおける始原への問い
宗教者の「老後」−現代日本のキリスト教界の動向を中心に−
毛利清雅と「新仏教」
仏教学から見た「インマヌエルの神学」の枠組みとその問題点
前期ティリッヒ神学とドイツ観念論
技術と意匠を競った中世本堂
生み落とされることば、手渡されていくことば−水俣病事件と「本願の会」−
「聖徒の交わり」の霊性倫理
遺言にみる現代日本人の死生観
メラネシアの文化と宗教
デルポイの神託について
三経義疏の真理説について
エコロジーと宗教-サクラメンタルな自然理解-
一念義の問題
聖霊体験の分析
死即出直の論理-天理教的人間観との関連において-
種子論より見た人間存在の意味-「成唯識論」を中心として-
源信における称名念仏について
一浄土宗寺院と地方政権との関係について
日本の宗教学-再考に向けて-
村落構造とその宗教機能−北関東山村の事列を通じて
フィヒテの宗教哲学
親鸞における報恩と宗教的意義
トレルチの自然法について
ティリッヒにおける個別化と参与について
文学理論と宗教研究−宗教表現の読解とその技法−
比較宗教人間学への一視点−梁川の「見神」と独歩の「見死」における
ABHISAMAYAとASTASAHASRIKA
身代りと化身の思想
比丘聴施経一巻
キリスト教と仏身論

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