前近代東アジアとINTER-RELIGIOUS EXPERIENCE
日本海沿岸漁村にみる善宝寺信仰の位置
ドイツ・ヴァイマール期の宗教思想と宗教学
戒壇巡り儀礼について−信州善光寺の場合−
「サマンタパーサーディカー」に説かれるコーサンビー諍論について
カール・バルトの神論をめぐって
若者の宗教の断絶と宗教の社会性
ルターにおける死の意味
九州南部における念仏勧進と禁制−時衆と一向宗との対比から−
古代に於ける神の概念
雲居道膺
実存哲学に於ける時代性の問題 1,2,
本邦巫俗の特質-シャーマニズム文化圏の問題に寄せて-
東北地方に於ける山信仰
清沢満之における信仰の形成
宗教哲学の成立と展開
ヘーゲル「精神現象論」にみられる宗教への道
精神主義の伝統について
サンヴァラ尊の成就法
親鸞における輪廻の意味
真宗の歴史観
浄土の荘厳について
マックス・ウェーバーにおける合理的行為
信教の自由−特に中国の秘密結社に関連して
仏教における生と死の理想形態
ティリッヒのキリスト論−カッセル講演を中心に−
ANTHROPOM0RPHISMについて
中国律宗としての歴史的宗派意識
昭和十年代の四国遍路
ハイデッガーにおける信仰と信仰の学
劉遺民と周続之−白蓮社の一課題
一遍上人の名号思想-極楽浄土について-
マレー華人社会におけるシャーマニスティックな新宗教集団の加入式について
仏教と創世の概念−仏教・キリスト教比較の一試論
親鸞の往生義に関する一考察
仏教社会福祉論 1,2,
ラウテンバッハのマネゴルトにおける宗教と哲学
「金光教教典」について−「お知らせ事覚帳」
永平寺法堂安置の聖観音坐像とその改修仏師について
「真言付法伝」をめぐって
初期ジャイナ教の業−感官との関係
上座部仏教圏のキリスト教
歎異抄における信心の問題−第三条「自他のこころ」から「他力をたのむこころ」への<転換>を中心として−
エックハルトにおけるHOC ET HOCとDIZ UND DAZの概念
道家思想における「王」という概念のシンボリズムについて
平安末の日光山−別当観纏をめぐって
仏教梵語における抽象接尾辞の意味
「正法眼蔵」における枯木について
十二ステップ自助グループにおけるスピリチュアリティ
法然上人二十五霊場のミニチュア霊場
天台大師の仏国土観
中村生雄著「日本の神と王権」、「折口信夫の戦後天皇論」
ライフヒストリーの中に見られる回心−キリスト教信徒の事例より
近代曹洞宗の二大論壇−「洞上公論」と「公正」
明治の仏教的精神療法−平井金三「三摩地」を中心に−
日本海沿岸漁村にみる善宝寺信仰の位置
宗教における修行と身体−宗教学の視点から−
「ドイツ信仰運動」−近代ドイツにおける一宗教の成立を巡って−
日本三論宗に於ける朝鮮仏教の影響について
<タンジョン>における創られた華人社会
新英語訳聖書の翻訳に見られる終末観
バーミヤーン遺跡の現状
自由宗教者運動−ドイツブルジョワ自由主義革命の宗教性−
中世仏教の成立と聖遺物信仰
寧楽仏教と高麗朝の仏教
農村の祭事に於ける神観
宗教的平和主義の類型と性格
アメリカの保守的小宗派−AMISHとHUTTERITES−
実地についての宗教教育と信仰の問題
死と不生
両界マンダラの哲学的考察-金剛界の部(1)四曼の世界-
往生浄土の心的構造への一視点
「末灯抄」第八通の一考察
キルケゴールの思想の基本と青年時の経験の相関
浄土教者の釈尊観
神観におけるキリスト教と仏教の対比
宗教象徴の一考察
明初の道士、張三?≠ノついて
ティリッヒとフロム−自己愛をめぐって−
阿字の字相について
祭式構成の一考察
ハイデッガーの「根拠」論とプラトンの美の問題
現代日本における祖先崇拝の一考察
四天王寺本細字法華経の研究
カントとシェリングにおける悪について
吉祥天彫像
台湾の土地公とマレーシアの大伯公
大雄山最乗寺における講の一考察
親鸞が門弟にすすめた書物について
CAROLUS BOVILLUSにおける人間の問題−フランス・ルネサンス思想の一断面
ファビアンの宗教思想
西田哲学における「私と世界」の問題
移住と祖先祭祀の変容−奄美・西阿室の事例研究
熊野参詣における聖俗認識について
ANTAR-YAMINと絶対無−インド思想と西田哲学(2)
生月のカクレキリシタンの信仰構造
親鸞の非僧非俗の立場について
アベラールにおける宗教間対話についての一考察−「哲学者、ユダヤ教徒、キリスト教徒の対話」をめぐって−
中国古代の地母神−「楚辞」九歌・山鬼を中心として
金沢における普度会法要の歴史と現代的意義

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