「会津大念仏」について
新潟県東頚城郡の宗教習俗について
日本におけるキリスト教学の展開
スレーシュヴァラの知行併合説批判
若きアウグスティヌスの生活の規範について
宗教的真実についての研究−「正信偈」を中心として−
千崎如幻師の生涯について
西行と伊勢信仰
ハイデッガーの思索
中国古代神話における地母神−「山海経」を中心とした一考察
奥院と里宮−大峰山の弥山を中心に
集会(MELA)と秘密の手印(CHOMA)
「提謂波利経」と中華思想
西田哲学における宗教の問題
イエスズ・キリスト再臨後の世界
浄土五祖伝について
仲算の唯識思想の研究−新羅学僧に対する態度
傅大士と輪蔵−傅大士信仰の成立と展開
「禅源諸詮集都序」の頓語漸修説−「浄染十重図」を中心として
追悼
公的宗教・私的宗教の理念と現実
善導「観経疏」における韋提希論
劉キョウにおける「仏教」の役割
開放の宗教と支配イデオロギーとしての宗教
戦時下における日中仏教徒の一動向
護法信仰の境界性−説話表現における生と死をめぐって−
中世のミンネとミスティック
食行身禄と「一字不説の巻」をめぐって
近代における葬儀写真集と肖像
岸本英夫の昭和20年
「平常心是道」再考−『伝光録』真歇清了禅師章より−
連続と不連続-世界救世教ブラジル人信者の信仰世界-
キリストの幕屋における祖霊供養
「仏国記」等インド旅行記に見られる戒律について
福沢諭吉とユニテリアニズム
東方之光とMOAのあいだ−拡散化する信者の物語−
旧キリシタンの秘書「御らっしょ」
天草のキリシタン部落
中国プロテスタント・キリスト教伝道史における時代区分について
綱島梁川に於ける「見神体験」の過程について
宗教学方法論
禅清規の宗教学的研究
「三僧記類聚」をめぐる一、二の問題
真宗の実践における諸問題
浄土教のあり方についての一試論
信と証
宗教集団研究の方法論的試論
彼岸の理解
既成仏教々団の経済的基盤
本居宣長の精神形成
彦山第三の窟、宝珠山の構造
神の死の神話についての一考察
道詮の「群家諍論」について
第二次大本事件の一研究
キルケゴールにおける罪の概念
国学者道家大門の神社および図書館設立運動
越後八海山をめぐる新信仰集団について
後期シェリングについて-ハイデッガーのシェリング論-
現代宗教の明暗
日本山妙法寺の平和運動
「無二」の思想的発展について
浄土真宗における「いのり」についての一試論
キルケゴールにおける間接伝知と受け取り直し
死霊供養から菩薩行へ−鞭牛和尚の道づくりにみる存在論のあり方
井上円了の「修身教会」をめぐって
台湾に於ける瑶池金母(王母娘娘)信仰について
現代東京都内の仏式葬儀について
「宝楼閣経」類本の検討
三階教の時代観について
究極の宗教-エックハルト・久松真一・親鸞と西田哲学をめぐって
カルヴィニズムのリベルタン糾弾
七寺所蔵「釈浄土群疑論」
慧思における末法思想の再点検
「六祖壇経」の五本、七冊について
鎮火祭祝詞をめぐって
現代における宗教の倫理的意義をめぐって
仏教福祉の実践に関する一考察
ルターとキルケゴール−信仰とわざ
経営倫理と宗教−ビジネスの現況と研究の可能性
日本の初期造像にみる神仏習合の諸相
神楽による死霊の供養−西日本と南中国の事例−
ニコラウス・クザーヌスの「ドクタ・イグノランチア」について 1,2,
楠正弘編「宗教現象の地平」
「もの言う」死者
宗教の定義再考
中世後期曹洞宗の地蔵信仰
エスニック組織と宗教-トバ・バタックの事例-
ミッション・スクールにおける教育の位置づけ
曇鸞浄土教における名号観
新渡戸稲造と内村鑑三の信仰的源流の一考察
新宗教と利他主義−イギリスの教団を事例に−
聖書和訳の先駆者カール・ギュツラフ
神道の国内性と世界性
ルターに於ける信仰の基礎構造
所謂王の詩篇に於ける王の問題
近代資本主義成立期における新教運動の経済的意義-FANFANIの所説を中心として
報恩思想の成立
「三種サンガ論」について
即身成仏義言の思想と「即身義」
自然ということ−道元と親鸞の場合

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