如来蔵説展開の一断面
SADDHARMAPUNDARIKAに於けるSARVAVANTAMについて
マハーヴスツにみられる如来の十力について
宗教学的回心研究−CONVERSIONと回心−
芸術写真としての石仏
カトリック宣教師の転任にまつわる諸問題
宗教的人間像に関する一考察 1
越年の儀礼−信州善光寺の場合
気比神社祭礼に見られる祭りの変遷
神体験をめぐる一考察
弥谷寺の葬送習俗と信仰圏
ARHAT(阿羅漢)考
「鈴木宗教学」研究
強制隔離に抵抗した生涯−ハンセン病医師・小笠原登の医療思想−
久松真一の立場と西田幾多郎晩年の立場
カトマンドゥの仏教寺院調査報告−NITYAPUJAを中心として−
「元亨釈書」の構成とその独自性
エックハルトにおける「UNUM-無差別なるもの」について
黒人霊歌にみる「約束の地」
メキシコ日蓮正宗への現地人の改宗に関する社会学的の考察−信念体系と経済的行為との相関を中心として−
西田哲学における「絶対自由の意志」と極限概念
永嘉集の思想について 2,
一貫道に於ける諸問題
熊野別当家の成立
キリスト信仰と主体的主体
死について−法相唯識における死と貞慶の臨終観を中心として
日蓮にみる病相の提示と治病
韓国・珍島における世襲巫の現状について
チベットにおける仏教発展の一考察
現代と仏教
真宗学における現代問題へのアプローチ−方法論を中心に−
ユングにおける「悪の問題」
南米と西欧における仏教(真宗)について
元文の宗教法難と伊藤玄基の生涯について
ヤスパースに於けるZWISCHENSEINについて
吉田一彦著「日本古代社会と仏教」
明治前期の仏教と学校教育
WIMA TAKTU王について
インターネット上の宗教文化教育教材の現状と利用上の問題点
M・ブーバーにおけるヘブライ語聖書翻訳の意図
エリアーデ宗教学における人間学的側面について
ユダヤ教における説得の論理−知識の階梯と境界−
古代中国に於ける神明崇拝の考察
聖冏の神祇思想
宗教哲学の問題と方向
宗教の変化とその効用
三輪山と山嶽宗教
ツウィングリの人間観について
不安の主体
基督論の一考察-フォーサイス神学の意義-
姉崎正治の業績
岸英司編「宗教の人間学」
定福院五百羅漢を訪ねて
覚如上人の証果論
中世彦山四十九窟の一形態
ベルグソンの死の考え方について
カーディナル・ニューマンのAPOLOGIAについて
正法眼蔵の接続語に関する特殊解釈の問題 1,2,
宗教的現実と歴史的現実
初期曹洞教団の性格
ハイラーの宗教理論−予言者的/神秘主義的という類型について−
ルターの「創世記講解」における神学的人間学
祐天上人事跡考
弥生時代の宗教
金沢北条氏における宗教受容
秘密念仏集団新後生の一研究
ハワイ日系人における新宗教の受容形態−ハワイ島の天照皇大神宮教信者の場合−
忌みと問答体
異文化の中の新宗教運動
宗教生活史の深層分析-新潟県南魚沼郡・万学院田村空観氏の事例を通して
宗教と経済倫理 2−近江商人の信仰−
聖なる空間と「距離」について
西チベット・ムルベックのシャーマン
バルトの芸術論−そのETHIKII,KAPIVに見る終末論的方向付
ブラジルの日系多国籍宗教
中国の石獅と沖縄のシーサー
西田哲学の「場所」について
地論宗における依持と縁起の概念について
「弘法大師逆修日記事」からみた十三仏信仰
加賀白山縁起の別伝について−白山の<王子>の考察を中心に
バルトの関係の比論とティリッヒの相関論
法然上人霊跡巡拝記に関するの一考察
日蓮の教典観における一考察
新羅における神宮の設立とその性格に関して
中央チベットの民話に現れた宗教観
「独立自尊」と宗教
真宗伝道における念仏者の可能性
宗教論の曲り角
教誨師としての原胤昭−明治期キリスト教徒の働き
十八世紀知識人における神霊観の展開−宣長・秋成から篤胤へ−
政治参加する仏教者たち−昭和初期の新興仏教青年同盟の事例−
ロンチェンパの瞑想論に於ける「観想」と「禅定」
英米の宗教文化教育教材の展開とその問題
ユダヤ教研究の根本問題−高等批判の言葉のアナクロニズム−
エリアーデのルーマニア論
世俗化論における宗教概念批判の契機
初期シーア派イスラームにおける伝承主義と合理主義の相剋
内観サークル運動における男性性の諸問題
玄奘三蔵入竺行程の検討
日本宗教学の課題

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