近畿地方の後・晩期の土偶 -橿原遺跡を中心にして
「日本ファシズム国家論」の再考察と展望−「革命」・「強制的同質化」概念を中核にすえて−
中国近現代史と中国宋史研究の主潮−?ケ広銘教授の王安石研究を中心に−
中江兆民における「三酔人経綸問答」の位相 下
北宋監司をめぐって
子日目利箒小考
チンカイ城と長春真人アルタイ越えの道−2004年現地調査報告をかねて−
日本型「国民国家」の形成と神道の関係について
道慈における仏法と王法−その日本仏教史上の位置−
梁京寺記に就いて
?H衍の思想に就て
インド仏教史とナーガ(竜)
桓武朝における百済王氏
天智朝の蘇我氏
仏教慈善病院「早稲田病院」と西島覚了−
文治元年の京都の地震に現れたる時代思想
中心飾のある格狭間と石造美術
モンゴル西部におけるチンギス・カンの軍事拠点−2001年チンカイ屯田調査報告をかねて−
故林安孝君を憶ふ
永嘉証道歌の年代及びその作者の一考察 -西天諸祖説考の一節
親鸞系図の史料批判
高昌仏教の研究
唐代西州人士の精神生活
中世後期における村落景観の復原 -近江国「注進木津圧引田帳」を中心として-
三骨一廟式古墳の一考察 -斉明天皇陵に関連して
近世本願寺寺内町の構造
深草遺跡出土木製鍬の一例について
つめの遊び考
山西省塔寺石窟北壁の北魏造像と銘文
師子小考
山城国男山における古代「神奈備」信仰
法華寺阿弥陀浄土院とその本尊について
脱俗境について
古代的天皇観の廃絶と内宴・菊花宴
古代中国の都城と経済
平安朝における文章の経国的性格の変色
物部についての一考察 -律令制下の史料を通じて
古墳時代における「地域」の範囲−紀ノ川下流域の検討から−
称徳・道鏡政権下における百済王氏
長岡京祭祀の一側面
北宋時代の公度制と祠部牒
律令体制の再編 -班田農民の階層分解と私寺建立
最澄の教団形成と世俗制度
障害者差別の歴史的背景 -普通宗教としての仏教とのかかわりの中で
藤原道長の浄妙寺創建をめぐって
THE ONE HUNDRED AND ONE BEST SONGS
「日本霊異記」の成立過程 -説話伝承者の問題
幕末本願寺教団の護法思想の性格 -近代本願寺教団形成の思想前提として-
平田篤胤と民衆の接点 -祖先崇拝の世界観
蟹満寺縁起と狛(高麗)氏
貞慶の観音信仰と覚真
道慈伝の問題点
太康貢使以前の中国・ローマ帝国間交通
如意寺跡の庭園遺跡
遠飛鳥と近飛鳥と長谷と
唐律疏議における課役の用語例
日中戦争下の新聞 -「世論」形成過程を中心に
俊乗房重源上人と宋文化
漢代の弘農郡
親鸞の吉水入室の記事について
本多利明の経済思想小論 -特に重商主義論を中心として
仏教思想史における親鸞の無我伝承 -仏教における無我伝承と有我伝承
宗鑑「釈門正統」の成立
織田政権の農民支配
沮渠氏と仏教について
鎌倉大仏の造立
僧尼令の先行法としての道僧格
薩藩の真宗禁制と本願寺門徒
弓月君の伝承
上原芳太郎と本派本願寺
ある山村の社会と宗教 -奥美濃徳山村
興福寺一乗院領大和国佐保田庄について
敦煌莫高窟第二八五窟北壁の供養者像と供養者題記
劉宋王朝と仏教
開皇十年の詔について
近代化過程と部落史-北播磨のある被差別部落の歴史
大谷探検隊が使用した資料−中央アジア・モンゴル篇−
ウィグル部族の四散について
「元亨釈書」の先行史書観
翻訳 旅順博物館蔵「建中五年孔目司帖」における新解釈
白雲宗大蔵経局の機構
臨?Dと長安
履中紀の一考察
親鸞伝絵について -西本願寺琳阿本を中心として
物部氏の系譜 -穂積氏と関連して
近江の蓮如 -戦国期本願寺教団形成史論・序説
成都紀行
専修寺真慧の教化について
禅尼・大通大師-文智女王
沖縄における王権の宗教的性格
摂津富田寺内の形成
「株」考 -日本庶民団体法史研究の一環として
覚如と法智-本願寺成立史の一齣
「遊方日記」考
石塔造立以前-葬地制について
本願寺派に於ける聖教出版の問題
教導職制と教院制 -教部省行政についての覚書
飛鳥浄御原令における僧尼令
近代天皇制下の西本願寺教団と「婦人教会」・「女子教育」論
初期の番方講

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