毛利柴庵に於ける明治社会主義の受容 -足尾鉱毒問題を契機として
鎌倉時代の世相と太子信仰
近代仏教史学の一課題 -辻仏教史学について
蛍雪会の設立と活動 -龍谷大学生による部落改善セツルメント
故林安孝氏を偲ぶ
北魏大?コ城南碑文考 -五胡乱及び拓跋部最初期史料
日本仏教と衆派分立
古代辺境村落に関する一考察 -大崎平野における式内社と鹿島・香取神社苗裔社の分布を中心として-
近世の一農山村における宗教
加賀一揆における北二郡の軍事編成
作善集より見たる重源
検証 龍谷大学の学徒出陣−その縁由と軌跡−
唐代賦役制度の基礎問題 上
MAHAMTA-/MAHA-を冠するCOJHBO官について
西北科学考査団に関する文籍
伝供小考 -菩薩 迦陵頻 胡蝶の舞をめぐって
渤海史の一面
摂津、多田銀銅山
ミャンマーにおけるラーマンニャ仏教の確立とその影響について
切支丹と仏教との混淆について
佐伯宿禰今毛人伝略考 -奈良時代官人昇進の一例
敦煌の釈迦瑞像図
宋代の皇権の関係に関する考察 -王瑞来「論宋代相権」への批判をもとに
アモンの子アレクサンドル
蘇我氏の屯倉経営について -日本書紀の記載の検討
本邦に伝来せるヨーロッパ古版都市図について
呉淞鉄道興廃史考
吐魯番浄土教史の一断面
徂徠学の課題とその思想史的役割 -とくに為政者論を中心として
宋代における念仏禅の潮流
中国古代の銅と鉄
「旅行教範」について
「龍谷史壇」百号に寄せて
孫文主義学会について -黄埔軍官学校における
「実隆公記」に現われた西山教団
「西域文化資料(大谷文書)」の出土地について
鎌倉政権成立に関する問題点
明の汲古閣主毛晉居士と仏典の出版
伝親鸞作聖徳太子講式について -初期真宗における太子尊崇の一意義
漢代の騎士 -士・卒の問題に関連して
詩経国風の農民詩 -古代邑制国家における権力と自由
浅井了宗先生を悼む
北魏洛陽における仏教寺院について
尊攘派小論
過書株と船株の変移 -近世淀川水運史の一断面
支那南北朝仏教と社会教化
遼朝科挙制度攷
平安朝に於ける貴族の心的傾向
十二日講と十三日講
浄土三部経の延書
加藤弘之における国家と思想
扶桑略記に就いて
支那の義井及び義橋に就て
中国の幽霊と仏教
慶滋保胤における仏教信仰とその思想 -特に保胤の往生思想を中心として-
わが古代人と井泉
国分寺の創建における隋・唐仏教の影響について
日本のアジア認識と福沢諭吉研究−戦争責任問題とかかわらせて−
故ヴラヂミルツオフ先生
石塔に於ける四方仏の配置について
潮音道海について
西夏文・穀物貸借文書
仏教研究と時代精神
僧兵構成の因子について
仏教タントラのチベットへの展開過程
静谷正雄先生を悼む
長享一揆後の加賀の在地状況−河北郡小坂庄の事例検討−
御土居とその現状
行基集団の宗教社会的性格 -石母田説批判
清沢満之についての覚え書 -教団革新論と運動の挫折をめぐって
古代東アジア史における武寧王
西夏文献拾遺 3−「後漢書」列女伝受容の一資料−
一遍上人の賦算に就て
毛坊主
村落共同体と田中正造
北加賀国人の検討
北宋提点刑獄の一考察
江戸時代初期の農村経済
鞍部多須奈の出家について
「隋書」西域伝について -その成立と若干の問題
ドイツ・トルファン探検隊に関する覚書
真宗教団分裂の過程
東北地方の条里制に関する一考察
宿彌と伴造−八姓宿彌の賜姓氏族と天武朝官制−
呉越地名考
金光明経感応説話考
日本の求法巡礼僧たちが見た中国の仏寺
「日の御子」攷
我国上代に浸潤せる道家思想に就て
真宗原始教団分裂と高田門徒の地位
五胡時代匈奴系諸国史の編纂とその遺文
中国歴史文化名城等の選定について−中国都市と地域等の諸分類−
エム・ウエバーのアジア観に関聯して
覚如眼に映じたる親鸞
唐天宝年間の戸等と受田・墾田について -杜佑通典食貨賦税の戸税・地税記事とその自註にもとづいて-
東学とアジア主義
近代天皇制国家と社会問題
法然上人の七箇條制誡
臨城事件の人質になって -アメリカ人ジャーナリストの記録
大谷光瑞論 1

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