興然と五十巻鈔
開教地に於ける新寺建立に就て宗内の諸大徳に白す
猿と池の主の話(ジャータカ物語)
葬式の禁酒に就いて
唯物史観に就て
年頭所感
活動写真と仏教
俳句雑観
声明の歴史及び音律に就て−高橋僧正に答ふ
大師明神の冥護−主監再任に際しての所懐
ある文殊菩薩像について
野性の詩
東寺金堂について
福知旅団の戦地弔魂会
菩提華金剛祥瑞和尚
秋夜
玄奘三蔵前の求法探険家(附 西域仏教東漸の初期時代)
弘法大師論に就いて
婆羅門教の比丘と仏教の比丘
真言宗学事発展の方法に就て
講説
六神通
話方の研究
お伽噺に就て
宗治的義務の観念を起すべし
真言宗安心略法語
純真な生命力
全国高野派部会議員諸師に対し最後の吐血論を呈して敢て懇願す
寺院の不動産売却に就て
盲疑信
弱き僧徒よ
寺院経済の更生に就て
保定から石家荘へ
皇紀二千六百年と密教の前途
嵯峨天皇と東寺
日本教学の勝利
病気は罪悪なり
競馬と幽霊
虚学者
宗教徒の時弊に就いて
生活難問題と教化
頼朝公の信仏
初秋の女郎花(花柳布教について)
龍樹の浄土教
瑜伽金剛頂経釈字母品一巻
外部的方面より見たる自我及び其の系統
体験の世界
黙想の天地−タゴールの近著より抄譚
宗教家と宗教屋との区別
猶太禍の提唱
便蒙魚山仮譜に対する水原僧正の質疑に答えて
仏教と融和事業に就て
第一回連合婦人会講習会に使して
事変の秋である−陸軍病院布教実現
御修法と絵巻物
御国忌奉修に当りて
富士山に登る記
回心の比較宗教学−CONVERSIONと廻心−
VAKYAPADIYAVRTTにおけるKALA(時間)概念の実質
阿毘達磨灯論釈におけるISVARA批判
A MORPHOSEMANTIC STUDY OF THE PRESENT FORMS BUILT TO THE ROOTS GAM AND GA IN THE RGVEDA
現代モンゴルにおけるキリスト教の受容をめぐって−民主化以降の宗教再解釈のなかで−
パーリ語JUNHA−の語義について
教祖における神がかりの意味をめぐって
「一切悪趣清浄タントラ(SARVADURGATIPARISODHANA TANTRA)」におけるマンダラ儀軌の一考察−ANANDAGARBHA釈を中心に−
「往生伝」的浄土信仰における心の問題
聖徳太子信仰とその造形
鳩間島のプール−沖縄における予祝儀礼の構造−
祈りと沈黙
古代インドにおける予兆の研究−地震の場合−
エリアーデ宗教学の人間学的理解−ヒエロファニーのカテゴリー的解釈の試み−
一遍における念仏と救済
新規入壇檀家における寺檀関係−その関係性に注目して−
時衆の「入水往生」考−その救いの論理と構造−
「宗教に他に道はあるのだろうか?」−もう一つの宗教的志向の探求−
稲荷信仰の習合構造
サンスクリット戯曲は娯楽か−インド文学理論の示す道−
「もの」と「いきもの」の供養
バタックの葬儀
AMBARARAJA(文殊師利)の発菩提心偈−中観儀礼の一側面−
干戈裡看花
VASTAVYA-,VASTUHA-,VASTUPA-−置き去りにされた居住地に関する記述を巡って−
わが国の真言密教と大峯山・月山の秘所について
沙門の解脱道−『聖仙の語録』を中心として−
ヴァン・デル・レーウの宗教現象学の人間学的理解−「生」および「世界」の概念を中心にして−
宗教の多様性と現代−宗教研究の新たな地平−
シェリングにおける悪の一考察-「精神的宗教」をめぐって-
禅思想のもう一つの流れ−道元における「拈華微笑」の理解をめぐって−
ヒュームにおける道徳と宗教
僧肇の言語観−真理の不可言性−
大津絵と民俗宗教との関わりについて−「藤娘」を例として−
出家遊行−シャンカラの不二一元論ヴェーダーンタ哲学をめぐって−
現代祈祷寺院における仏教行事の成立
セーレン・キェルケゴールの生涯と著作の構造-間接的伝達としての匿名の問題を中心に-
継承される宗教経験「悟り」−『伝光録』にみる「悟」から−
デーヴァダッタの善玉化−仏教における悪者の救済−
<死者の結婚>のイメージと” 写真 ”−「ムカサリ絵馬」の事例にみる−
「解脱」と「救済」の位相と統一−タクシラにみる宗教の種々相−
ジェイムズの「プラグマティズム」概念とその理論的展開−「神」の探求と宗教的経験−
ダルマキールティにおけるヨーガ者の智の定義について

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