画本道の手引
世話詞渡世雀
笑謡
英和対訳 西洋古語格言<復刻>
漱石とイギリス文学
鴎外の西欧の理解
ゾラの理論と日本の自然主義
藤村と大陸文学
ゲーテ、トーマス・マンと日本近代文学
近代演劇の発展とシェークスピア
白樺派の人道主義
近代詩とサンボリスム
汽車待つ間
生存の条件としての記憶 —ナボコフの自伝にふれて—
馬に乗った少年-「リンカン・ステフェンズ自伝」のアメリカ性-
書簡より見たメレディス
自伝に見る一九三〇年代-スペンダーとイシャウッド-
現代アメリカの一茶たち —最近の英語俳句における自伝的傾向—
T.ウィリアムズ、人と作品の間-60年代の作品をめぐって-
<物語>への昇華-フォークナーの自伝的エッセイ「ミシシッピー」
スタンダールの「十二夜」(TWELFTH NIGHT)劇作に見られる自伝的要素
宇野浩二の小説と私語り
川端文学における自伝的要素-「十六歳の日記」の構造-
泉鏡花における自伝的要素
佐伯さんのこと —わが芸道の師—
佐伯彰一と私
佐伯さんとの歴史
大学人と実作者
思い出すままに
創作合評のこと
佐伯彰一君と私
都立大学時代の佐伯先生
佐伯先生と私
送る言葉
書斎のあるじ —作文の種—
太宰治のハイデルベルク-独・仏文学をめぐって-
なぜ古今和歌集が撰進されることになったか
聯斎志異と日本近代文学
小野道風法帖<琵琶引>本文の系統について
自伝の特質とその範囲 —朝の日記文学を中心として—
白石と諭吉 —刀に対する態度をめぐって—
「先祖のしな」への立ちかえり —本居宣長の『家のむかし物語』—
自伝の〈時〉−新井白石『折たく柴の記』における〈時〉の表現をめぐって−
三島由紀夫における「自伝」の構造—『太陽と鉄』、『私の遍歴時代』
真摯なる贋の告白者 —ヴェルレーヌの『告白』—
語りへの回帰-ガートルード・スタイン「アリス・B・トクラスの自伝」について-
A SkETCH OF THE PAST
生きる情熱と真実への欲求-ボーヴォワールの「娘時代」-
夢の中の私、夢を見つめる私 —イヨネスコ『日記断片』—
再生する樹木 —オディロン・ルドン「芸術家の打ち明け話」—
舞台を下りた喜劇人-チャップリンと渋谷天外の自伝-
映画の揺籃期と映画監督の幼年期-マキノ雅弘とジャン・ルノワール-
語るべき<自己>とは何か-ガンディー「自叙伝」-
時代に裏切られた語り部 —『石光真清の手記』—
二つの祖国の間に立った「自我」-李方子の自伝「すぎた歳月」-
韓日間の軋轢を生きて —金素雲『天の涯に生くるとも』—
批准と代償 — Yung Wing : My life in China and America —
自伝に見る日米二重文化人−Joseph Heco, The Narrative of Japaneseを中心に−
自伝を書けなかったヴォルテール —異文化体験の告白—
十七世紀における「死の家」—「司祭長アヴァクムの自伝」について—
十九世紀ロシアの知的風景−自伝・回想にみる一八三〇年代のモスクワ大学−
友情
ニヒルなおっとせい 金子光晴らの批判精神
ニヒルなおっとせい 金子光晴らの批判精神
蝶と爆弾 現代詩の胎動
蝶と爆弾 現代詩の胎動
宝石のやうな朝 西脇詩と氾濫するエスプリ・ヌーボー
宝石のやうな朝 西脇詩と氾濫するエスプリ・ヌーボー
〈蛙〉と〈天〉 草野心平と『歴程』
〈蛙〉と〈天〉 草野心平と『歴程』
ゆきてかへらぬ 中也・道造・静雄
焦土のなかから 戦後詩の出発
比較文化論の基礎
日本における李舜臣の名声
永井荷風の風景 —習作期から『すみだ川』まで—
詩人立原道造とその建築
森鴎外におけるツルゲーネフ
パウル・ハイゼ『ドイツ短篇集』序論・訳並びに註
日本人の見た西洋・西洋人の見た日本 —久米邦武とオールコック—
小泉八雲 —最近の翻訳と研究— 『L.ハーン著作集』第一巻
M.LAZAR:THE ART OF LAFCADIO HEARN:A STUDY OF HIS LITERARY DEV-↓
平川祐弘著『小泉八雲—西洋脱出の夢』
佐橋甚五郎は実在したか
デュシャンとキモノ
東京で見た広告
自伝ジャンル・東と西
世紀末の世界 —崩壊と創造の場としての世紀末—
二十世紀への展開 —十九世紀から二十世紀へ—
〈芸術〉を信じた時代
共同作業の感想
ロマン主義の十九世紀
文芸学批判
芸術の秘密
文学研究の諸問題
近代芸術観の成立
文学非芸術論
同時代の表現
日本文学の滑稽について
心がはり
アジアのなかの日本文学

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