現代小説における空間の問題
想像力の暗がり
少数者の表現 —純文学と大衆文学の間—
現代と私をどうたばねるか —文学表現に即して—
お伽噺の現代性
ドストエフスキーとソルジェニーツィン
民衆の声、文学の力
現実をどう書くか
旅のをはりの鴎どり 三好達治と『四季』
大いなる日に 戦争詩
蝶と爆弾 現代詩の胎動
お前は歌ふな 中野重治とプロレタリア詩
宝石のやうな朝 西脇詩と氾濫するエスプリ・ヌーボー
〈蛙〉と〈天〉 草野心平と『歴程』
ゆきてかへらぬ 中也・道造・静雄
トゥルルス・ホスティリウス王とインドラ−歴史伝説に転移された神話の事例−
アテナイとソポクレスのオイディプス像−トゥキュディデスのペリクレス像と比較して−
プラトンのソクラテス像-アリストテレスによせて-
ソクラテースからアゲーシラーオスまで —伝記作者クセノフォーン↓
ウェルギリウスのアエネアス像
アンビオリクス
総督としてのプリニウス(小)
「言葉の富」ということ
イエスの諸像と原像-失われた羊の譬の伝承史的考察-
パウロの自画像 —ロマ7を中心として—
ロマン主義の成立をめぐって−古典主義とロマン主義ははたして対立するか−
ロマン主義とヒロイズム—ロマン主義の男性的原理としてのヒロイズム
ロマン主義とナショナリズム —ナショナリズムとフォルクロール—
ジャーナリズムの登場 —ジャーナリズムの登場と芸術の社会的展開—
社会主義の展開 —個人の幸福から集団の幸福へ—
宗教と反宗教 —十九世紀における聖なるものと俗なるもの—
科学・進歩・芸術 —科学と進歩の世紀における文学と芸術—
レアリスムの時代 —十九世紀レアリスムの展開をどう見るか—
土着と西欧 —十九世紀後期ナショナリズムの行方—
象徴主義の流れ —自然主義・印象主義・象徴主義—
お祖父さん
デレッダと私
作品を大切に
新しい英文学史
人生は芝居なり
愛の神カーマ
アラハーバードの作家達
現代世界の芸術・音楽
現代世界の芸術・美術
演劇の東と西
文芸批評の新しい方法
戦後文学のありかた
文学と自由
ビート文学からヒッピー文化へ
四七年グループをめぐって
反戦の詩
平和と戦争
人間・歴史・戦争
性とエロティシズム
日常と性
カミュにおける肉体と自然
ユダヤ系作家の文学
黒人文学
世界文学の方向
国際社会のなかの文学
文学手帖
昭和十年代の「文学界」
私の翻訳歴
フィレモンの嘆き
現代の「からごころ」
三島由紀夫の死
私のステレオ
犬とジャーナリズム
私の芸術観
古典古代の伝記の展開 —プルタルコスとスエトニウスに至るまで—
ドストエフスキーの摂取
イフィジェニー
フェードル
エステル
アタリー
解説-ラシーヌ-
告白
解説-ルソー-
「告白」の遺跡散歩
「告白」の系譜-モンテーニュ、ルソー、スタンダール-
啓蒙哲学とルソー
ファウスト
ゲーテ詩抄
解説-ゲーテ-
ロマン・ロランにおける文学と行動 1,2,
「ジャン・クリストフ」について
ロマン・ロラン
「ジャン・クリストフ」とソフィア
ロマン・ロランの理想主義
「ジャン・クリストフ」小論
ロマン・ロラン−芸術家と社会の問題−
リルケのロマン・ロラン訪問
感想一束
趣味的な文学史
創造的な読み方−長谷川四郎脚色「アンナ・カレーニナ」にふれて
戦争中の学生生活
イプセン劇
ポーランドの旅から
ギリシアなりし栄光
飛び医者

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