第三回「北米・覚の宗教者とキリスト者との神学の出会い」−ジョン・カブ教授の論文に対する阿部正雄教授の応答を中心とする報告−
十一面法
自然の問題
徳山の示衆
中国仏教史における禅宗への推移
漢代訳経と口語−訳経による口語史・初探−
さまよえる「文選」−南北朝末期における文学の動向と「文選学」の成立−
唐代文人的習禪風氣
「大秦景教宣元至本経」残巻について
朱熹の墓−福建の旅から−
陽明学における狂禅について
神秀と華厳経
神会の肖像
乾屎?イ考
無仏の地平
異類について
禅の分類について−圭峰宗密の五種禅の見直し−
臨済禅を考えるヒント−伝大燈撰句集のあとがきにかえて−
臨済録札記
宋版「?\居士語録」について
福州東禅寺版「景徳伝灯録」について−東禅蔵・上醍醐寺蔵の調査報告を兼ねて−
脇は席に至らず−禅真教と禅をめぐって−
高麗武臣政権下の禅について(1)
「祖源通録撮要」の出現とその史料価値
長谷の大仏と観音
奈良時代の禅
伝大燈撰句集(芳春院蔵)
蔭凉軒真蕊西堂の南都見物
白隠慧鶴の「隻手音声」を「遠羅天釜」と「洞山五位頌」とに聞く
真実性の探究−「種の論理」と「場所の論理」をめぐって−
ポストモダンの思惟
西田幾多郎の経験−西田哲学の宗教的性格についての試論−
青年久松真一の危機と師西田幾多郎−心理学的考察−
白居易詩における老荘と仏教−その「長慶集」から「後集」以後への変化について−
舎利信仰と僧伝におけるその敍述−慧洪「禅林僧寶伝」敍述の理解のために−
黄龍慧南の臨済宗転向と?鈞K懐澄−附論「宗門?}英集」の位置とその資料的価値−
遺民僧晦山戒顕について
新羅円光「世俗五戒」の思想的背景
退耕行勇とその門流について
雲門との機縁
雲門胡餅
雲門の時間観
顧鑒?f考−雲門の実存伝達
語録の形成−雲門廣録の歴史的考察(英文)
雲門禅への断簡
「雲中語要」に見られる雲門の認識について
西田幾多郎の思想における「純粋経験」と言葉の問題(英文)
大徳寺の歴史と禅
純粋経験と自覚と場所
道元十二巻本「正法眼蔵」試論
北宗禅の新資料−金剛蔵菩薩撰とされる「観世音経讃」と「金剛般若経註」について−
「河嶽英霊集」編集年代について
「本来無一物」は外道の法
「碧巌録」の諸本について
白居易の文における老荘と仏教−その「長慶集」から「後集」以後への変化について−
趙州と信心銘
知訥「真心直説」訓注試案(上)
馬郎婦観音信仰と一絲和尚
MENSURA SOILI−禅文献の計量語彙論的研究の試み
「南泉語要」第一則上堂訳注
雲門について
禅仏教に関する近年の英文刊行物一覧
新生の道元−十二巻本正法眼蔵をめぐって−
典座に関する一考察
久松真一とユングの対話−資料的検討
アメリカの仏教教誨とその周辺
「第四回国際仏教徒−キリスト教徒対話会議」参加報告
一般論としての宗教と倫理と現代社会の問題
環境・生命倫理と仏教
自由と空の立場−西谷啓治の思想における「真の自由」−
新しい価値の探究−禅における倫理の問題−
「道」の性格−日本人の伝統的生活スタイルの再考−
荼毘説
道元の臨済評価
「続」馬郎婦観音信仰と一絲和尚
アメリカに於ける西田哲学研究
大乗起信論の和合識
“即非の論理”再考
自内証としての見
南宗禅の頓悟思想の展開 荷沢神会から洪州宗へ
無心の周辺 頓悟との関連において
「頓」の類型学 神秘思想に見るこの概念の意義
知訥の頓悟漸修論 「法集別行録節要並入私記」を中心に
好事は無きに如かず
一休・風狂の構造−詩と禅の色あげ
東嶺禅師の受業寺大徳寺
高氏蘇生譚と「三傷頌」「一鉢歌」
「無心論」敦煌出土の一テキスト
麦藁帽と下駄のあいだで
ヨーロッパでの在家禅
大乗経典「ランカーに入る」の研究
仏性の問題−頓悟との関連において
「夢窓国師語録」序
足利学校遺蹟図書館蔵の禅籍について 禅籍抄物(1)
「大乗荘厳経論」第十四章 世親釈サンスクリットテキスト
法華経と禅者
慧能に帰される数種の「金剛経」の注釈書について
「正法眼蔵」12巻本の現代的意義 袴谷憲昭「道元と仏教」批判
「夢窓国師語録」南禅録・註<部分>
清規に見る室町時代の茶礼について

成田山仏教図書館蔵書目録総合リンク集へ戻る
成田山仏教図書館トップページへ戻る