春日山の歴史
春日山の植物生態
春日山と万葉集
春日赤童子像について
慈恩会の堅義
創建千三百年にむけて
江戸時代の奈良 上下
加行の意味−堅義を終えて−
天平の時代精神
十大弟子・八部衆の造像をめぐって 上下
五十六億七千万年
慈恩大師教学の特徴 上中下
「自我偈」を読む 1〜6,
天平建築の復元 興福寺中金堂
ブータンのこと
大和のうた・ふるさとのうた-こころのうた-
散華-供養の心と形
興福寺初代別当慈訓とその時代
道慈師と西金堂の仏教
法相宗祖・慈恩大師
日本文化-型と手間ひま
南都浄土に展開する文芸世界 上下
誕生仏の意味
空の実践−「般若心経」に学ぶ− 1〜22,
活仏とは何か
与えられるものと出すもの
最近の宗教の問題
冥の照覧
興福寺講堂曼荼羅をめぐって
興福寺と山階寺 上下
創建千三百年をめざして
多門院英俊と「多門院日記」
十六世紀後半の衆徒と奈良
日本仏教における鑑真和上の意味 上下
春日曼荼羅成立と展開 上,
慈恩会について
近松心中狂言最期場の救済思想
現代と仏教
中金堂の発掘
行為の帰着するところ
仏典の阿修羅
父をなくした日本人
興福寺における南円堂の位置 上下
南都における神仏習合の儀礼
文殊菩薩の願力
興福寺曼荼羅をめぐって 上下
孝謙女帝と道鏡 上下
唯識の名匠・善珠
入唐僧行賀
南都絵所の成立とその変遷 上下
天平時代が生みだしたもの
真実のさとり-「大般涅槃経」を読む 1〜20,
門前町奈良 -奈良市制百周年によせて-
真実の祈り
涅槃経と美術
古代における鏡の意味
僧道照について
行基菩薩と社会福祉
俳句に詠まれた興福寺
み仏と戒め 1〜7
春日の神々と興福寺僧徒
仏頭礼賛
氷室神社の謎
中央アジア仏教遺跡事情
皆当往生
最澄「通六九証破比量文」
「大乗院寺社雑事記」にみる環濠集落
「大乗院寺社雑事記」に見る連歌興行 4−文明10年(1478)〜文明19(長享元年1487)−
十五世紀中期の茶の湯と連歌−『経覚私要鈔』を中心に−
永島福太郎先生追悼−恩師永島福太郎先生を偲ぶ/永島福太郎氏の訃・永島福太郎先生に叱られた話−
仏伝の美術 その1,2
ブッダの生涯−『仏所行讃』を読む− その1〜15最終回
『滅財』
釈尊とその弟子たち
仏教と民間信仰の関わり−東南アジアを舞台にして−
興福寺大衆と官符衆徒(衆中)
法相の祖師達
藤原不比等
善心悪心
仏教における祖師 上下
唯心的生活
インド仏教彫刻の流れ
法句経にみられる心所
ホリスティック教育−全人的な発達を目指して−
唯識のこころ 1〜21
供養について
パリ市グラン・パレにおける興福寺展の意義
奈良朝藤原貴族の観音信仰
解脱房貞慶と興福寺の鎌倉復興造像
健康の中心『寂』−東洋医学よりの視点−
烟華漫筆
興福寺大乗院門跡と律宗寺院−とくに律宗寺院大安寺を通して−
中世における寺院の童について
応仁大乱と奈良
和泉守護細川氏の系譜をめぐる諸問題
河内守護畠山氏とその城郭
「大乗院寺社雑事記」の吹田氏と吐田氏
戦国期大和国宇智郡に関する二つの史料
中世後期における奈良の盲人について−「大乗院寺社雑事記」を中心に−
中近世奈良における「辻子」と「突抜」

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