乙訓の初期須恵器
三重県における「終末期古墳」の一例
乙訓地域における埴輪の変遷とその特色
乙訓地域における古式土師器の様相
鈴鏡論序説
早丸伝説の内幕
京都府乙訓地方における古墳の葺石の石材
鞆岡廃寺の沿革
帯勲者に対する蔭位適用法について
由義京の宮域および京域考
但馬・池の内遺跡について
和泉国土師廃寺について
乙訓地方における奈良時代の集落の検討
山崎駅と駅家の構造
中野遺跡出土の緑釉陶器
平安時代前期における山崎津に関する一考察
西岡御被官人について
山城国乙訓郡の条里プランと16世紀の坪付図
15世紀後半の乙訓における惣国について
山崎城の構造 天正十年秀吉築城の構造と城郭史的意義
長岡・平安遷都と道教思想
木簡雑識
長岡京条坊制小論 分割地割型条坊の前提
「長門凡」の長岡京木簡
桓武天皇の天神郊祀について
長岡京条坊プランに関する一試論
長岡京市における文化財行政の取り組み その現況と課題
長岡京跡発掘調査体制の変遷と現状
「長岡京跡発掘調査十年計画」その後
古代祭祀と長岡京 人形祭祀の一つの覚書
長岡京下層の自然地形
乙訓出土の土馬集成
長岡京出土の八稜鏡
後期難波宮朝堂院について
いわゆる長岡宮式軒瓦の意匠と技法の特徴
長岡京における造営規範についての覚え書き
長岡京の土器
長岡京期の時面の埋積
長岡京の建築遺構と宅地の配置
長岡京の井戸
長岡京出土鴟尾資料集成
長岡京出土のカゴと編物類
乙訓地域の旧石器資料集成
京都府北部出土の黒曜石製石器について
原始の道具づくりにいどむ
河内からもち運ばれた土器 山城・乙訓出土の生駒山西麓産土器
近江型甕についての一試論 弥生時代中期〜後期の山城と近江の交流…
作られた国家統一の英雄たち
上代日本語の源流を探る
暦日はどう計算されたか
「古事記」「日本書紀」神話のすべて
古代天皇の謎と問題点
古代天皇の謎と問題点
コンピュータによる記紀の分析
製鉄神話が伝える虚実
幕府御用金を追え—沈船・早丸の謎
記紀と近代天皇制
記紀のエロティシズム
研究史「古事記」「日本書紀」
「古事記」「日本書紀」の基礎知識
「古事記」「日本書紀」の基礎知識
中山さんと長岡京
長岡京と寺院 延暦2年・延暦4年の2官符をめぐって
長岡宮宮城門号考
中国の都城と長岡京
長岡遷都と鎮京使 遷都における留守官の意義に及ぶ
長岡京木簡にみえる郡符について
古代都京の立地環境
藤原種継暗殺事件後の任官人事
幻と鳥
対談・古代の舟は鳥だった
魏志倭人伝論
エンヤ・ペティウォラ・エンヤ(船よ進め)
航海日誌
邪馬台国への道 海路編(緊急座談会)
「野性号」印象記
ポセイドンの息子たち
鏡の国と鉾の国
沖縄の女性
袈裟懸たすき紋の謎—韓国からの提言—
奈良・大和の発見
楽郎のこと
任那諸国論
騎馬民族・高句麗
感じる都 百済
北九州の原像
記紀の語る古代史
発掘が書きかえる古代史
宗教の府となった出雲政権
抹殺・変改された記録を復原
再検討・「倭」の意味するもの
墨書土器「車宅」をめぐって
私と世阿弥
虎死して骨を残す—追跡・加藤清正の虎
消えた日本のトラ
加藤清正—天才的自己PRマン
鹿鳴館は踊る—若き獅子の夫人たち
津田梅子と塾の精神
鹿鳴館で踊った女性たち
万延元年・謎の銃声—推理・桜田門外の変

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