日米開戦をどう受けとめたか なんでこんな馬鹿な
日米開戦をどう受けとめたか どうせ日本は負けるさ
日米開戦をどう受けとめたか はだしで夢中で走った
日米開戦をどう受けとめたか 米国で知った開戦
証言 天に慟哭する戦友たち
証言 旧式となってしまった零戦
証言 密林で玉砕したアイタペ作戦
和歌に託した山本五十六の心
学徒出陣 「もとより生還を期せず」の時代
証言 血河、屍山の大修羅場
証言 徹底抗戦、残存兵力34
証言 「星に七夕」を合言葉に
学童集団疎開 母の死も知らず
学童集団疎開 八歳の集団生活
証言 白骨街道へ置き去りにされて
証言 豆だらけの足で中国縦断
証言 重巡「利根」の艦長として
関行男と神風特別攻撃隊「KAのために死ぬ」
昭和のボードビリアンたち
回想の双葉山定次 左目に大きな星が
証言 一日三百人の重傷者
証言 陰謀側の暗号電報を解読
ノモンハン事件の統帥 参謀本部と関東軍の対立
新体制と世界の鼓動 ある「猶予期間」のドラマ
耐乏生活の始まり
銀幕を彩った昭和の名画
日米開戦をどう受けとめたか えらいことになったなあ
日米開戦をどう受けとめたか 忠君愛国の優等生だった私
日米開戦をどう受けとめたか 自分の寿命を決めた日
証言 成功した東京空襲
証言 飢餓と戦い15日間漂流
日米交渉秘話 発端となった神父二人の密使
日米の戦力比較 開戦は狂気の沙汰であったか
ゾルゲ事件の渦紋
エピソードでつづる15年
東条英機論
証言 目の前で仲間が次々と即死
証言 命がけの落下傘降下
証言 信じられないほどのツキ
証言 魚雷40本 爆弾94個の奇襲
流行歌と時代状況 「暗雲が立ちこめてくる」時代
軍閥の系譜 三月事件から二・二六事件まで
証言 二・二六事件 左頭部に撃ち込まれ
証言 二・二六事件 上官命令で落語を一席
証言 二・二六事件 首相の死体に疑問を抱く
証言 二・二六事件 戒厳令下の四日間
証言・ベルリン五輪に出場して 勝って当然、楽々優勝
証言・ベルリン五輪に出場して 「ブラボー・ジャパン」と総立ち
証言・ベルリン五輪に出場して 「友情のメダル」と言われたが
証言・ベルリン五輪に出場して 二度の先頭争いに涙を呑む
マンボウ昭和史 「さあ来い!便衣隊め」
光と闇の交錯する中で 昭和ヒトケタ時代
新興コンツェルンから南氷洋捕鯨まで 軍需に乗った国産技術の開発
異常気象と凶冷 気象の昭和史
証言 北京入城までの一か月
証言 杭州湾上陸作戦
近衛文麿論 独り歩きした宰相近衛像
不発に終わった蒋介石爆殺計画 京山じゅうたん爆撃
企画院の実態と企画院事件 総動員体制の中枢機関として
「国境線を越えたぞ」
資料の永遠化
波打った大地 没収された震災写真
波打った大地 子ども心に無常を知る
波打った大地 朝鮮人を救う
波打った大地 大震災がつけた芸名
平民宰相・原敬 波乱の生涯とその人
新しい女たちの系譜
大正の時代相 枯れすすきから女性解放まで
証言 張作霖の焼死体か
証言 オリンピックに初の日章旗
証言 グランドピアノも備えていた飛行船
証言 スター並みだった人気弁士
田中義一と浜口雄幸 二人の宰相のプロフィール
昭和初期の世相と風俗 ジャズで踊って
昭和初期の文壇「ぼんやりとした不安」の時代
証言 最前線でシャッターを切り続ける
証言 修羅場となった天長節式典
証言 十四歳で獲得した金メダル
証言 思わぬ優勝に呆然
満州事変前後の関東軍
回想・松竹少女歌劇部ストライキ 「桃色争議」などといわれたが
相反する政策姿勢とその背景 井上準之助と高橋是清
死の美学にとりつかれた若者たち 情死・自殺ブームとその時代
本巻に登場した錦絵の絵師たち
現代に息づく浮世絵
本巻に登場した錦絵の絵師たち
本巻に登場した錦絵の絵師たち
錦絵から見た明治時代
見なおされる江戸錦絵
近代日本の礎となった政治家−大久保利通−
幕末維新を生きた女たち
「印影鏡」といわれた時代から日本写真事始め
お雇い外国人とその月給
二〇世紀の幕開けとともに鉄道草分けのころ
富国を担った外国人-アラン・シャンドとゴトフリード・ワグネル
恐露病からの出発 明治探検家のパイオニア
明治の大衆娯楽−オッペケペッポペッポーポー
明治文学の系譜−文豪たちの時代
明治日本のリーダー 伊藤博文−その生涯
明治の終焉−閉塞時代の日本

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