洞上正宗訣、永平正宗訓の分析
正法眼蔵における有と時
道元禅師の仏・菩薩・祖の定義について
曹洞宗における秋葉信仰 2-遠州秋葉寺の曹洞宗への帰属を中心として
曹洞宗における密教の受容
「正法眼蔵」における動詞的用法の特殊性について
『正法眼蔵』の一考察
近代仏教史における内山愚童の位置
瑩山清規の前後
現代における実践的安心試論
正法眼蔵における仏教・仏経・仏性・仏道の四諦論的展開について
『永平広録』建長年間の上堂について
総持寺中興縁起における雁札について
宗学復興期における重嗣論の一側面−徹通義介禅師の問題を中心にして
「弁道話」における修証辺の宗旨−面山禅師批判
現代宗学論の一考察
道元禅師と坐禅(一)
瑩山禅師における慈悲−日本的受容・その人と法について
道元禅師における公案拈提の特質−曹山禅師のそれと比較して
坐るということ−どうあればよいのか
本証妙修について
瑩山禅師世寿五十八歳説に対する私見
寺泊
指月禅師仮名法語について
儀軌
瑩山清規の成立とその性格
但随他証去
『正法眼蔵随聞記』私考−その10−「貧ヲ学スベシ」考−5
経行について−特に足の運びについて
瑩山禅師の女人尊重思想について
只管打坐と天台止観
道元禅師における身心について
中世越後の禅宗教団の展開について
坐禅用心記における本証妙修
追悼文「藤田・横井両先生と宗研」
「希有」について
流人と僧侶
道元禅師の修証観−禅師の批判の内容を通して
仏教の近代化とその社会的責任-ハンセン病(癩病)にみる仏教の社会的責任について
『正法眼蔵』「看経」の看経
古記録にみる瑩山禅師のご年齢について
巻頭言 宗学の研究について
アビダルマ仏教と十二巻眼蔵について
大日房能忍に附与された達磨画像をめぐって
曹洞宗における血盆経信仰(一)
「正法眼蔵」における「眼蔵」理解について−本覚法門への批判点をめぐって
瑩山禅師に始まる洞門の輪住制について
真歇清了師における禅淨論
『付法蔵因縁伝』の西天祖統説
滝谷琢宗禅師伝の資料と略年譜
有時の仏法−アビダルマと『正法眼蔵』序説
大明高僧伝 8巻
道元禅師の万象刻々一斎生滅の身心脱落と阿育王寺再訪−将軍実朝の納骨準備からスタートする道元禅と「正法眼蔵」
袈裟史における両祖の地位−道宣と関連して
「漢光類聚」における本覚思想の考察-「本来本法性」疑団解明の一視覚
「参同契」の性格と原文
大空玄虎と勢南の曹洞宗
道元における「宗」について
祇管打坐の宗旨と「法華経」
「洞谷記」その原形についての一試論-大乗寺秘本「洞谷記」を中心にして-
瑩山禅師の伝戒の師について
即心是仏から非心非仏へ
南伊豆における??叟派の展開−太梅寺を中心として
『正法眼蔵』にみられる外道の語義について
道元の教主論について
坐禅用心記についての一考察
『正法眼蔵』考(七)
契嵩本『六祖壇経』の一臆説
曹洞宗教団における「白山信仰」受容史の問題(2)
道元禅師の因果観をめぐる一考察
道元禅師と聖アウグスティヌスの信について
道元禅師の言語−将錯就錯について
瑩山禅師と教育−現代教育に関連して
御教示仰ぎたき二問題−面授時脱落のことおよび『普勧坐禅儀』の書風のこと-
頓教に関する澄観の解釈について
北宋勅版大蔵経と入蔵禅籍
個性と超越性をめぐる道元の理論について
道元の「仏性」巻について 1,
伝光録における師資証契について
道元禅師志比庄下向の背景−その二
『歴代法宝記』についての一考察
湖北地方の禅宗考察の視点
「道元禅師新生論」批判
道元の心常相滅論批判
東山法門と『大乗無生方便門』
瑩山禅師の戒律観−菩薩戒儀規を中心として
正法眼蔵における「さとり」四諦論的展開
南宋天台と禅宗
道元禅師における宗教的時間の特質 2〜4,
大地有情同時成道に関するの一考察−特に道元禅師をめぐって
信心銘拈堤考
『祖灯大統』について
『正法眼蔵』における「所有」の問題について
法蔵と道元−言詮的追究の特質性
「正法眼蔵」における出家の規範について
瑩山禅師における菩提心について
瑩山禅師の号と諱について
?g仰宗と曹洞宗
『正法眼蔵』における「持戒清浄」の問題
「正法眼蔵」における譬喩−空と鳥

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