「獄中ノート」をどう読むか
ヂョンソンの『英語辞典』
ジョンソンとボズウェルの一対
ボズウェルの方法
ボズウェルの執念
ジョンソン博士と飲食
伝記と歴史家
チェスターフィールド卿について
一枚の写真についての報告
主体的思想の確立への模索−韓国の第三世界研究の現状
宮城の風土・人・くらし
近代の宮城県の人物群像
古代の東北開発に関わった人物群像−足人・益立・俊哲などについて−
戦国期の瀬下氏
群馬の和算家と科学者たち−江戸時代から近現代まで−
父 住谷悦治
新たな県民性
「三空」と「宇宙心」−大倉邦彦−
大倉邦彦と植木直一郎
大倉邦彦関係年譜
南方熊楠の学風
野の遺賢
南方熊楠児談義序
南方熊楠と日本文学
博物誌の文体
南方熊楠の抵抗
出て来た歟
久保田万太郎
紀伊田辺にて
南方熊楠翁は語る
高野のひと月
南方先生訪問記
南方先生を訪ふの記
南方先生と語る
南方随筆と続南方随筆
南方熊楠
南方熊楠翁の事ども
南方熊楠翁を憶ふ
南方熊楠先生を語る
南方熊楠先生
南方家訪問の思出話
南方さんのこと
南方翁との初対面
浦島太郎の亀
南方先生を偲ぶ 昭和17.1・紀伊新報社主催
「南総里見八犬伝」の中の「三国志」(三国志の人間学 5)
高野山高室院の相模国進出
新島襄と女子教育
宗教と科学
新島襄と近代スポーツ
京都看病婦学校と新島襄-J.C.ペリーの書簡を中心に-
福島伝道にかける夢−新島襄と松田順平−
誠心誠意語る・説教者新島襄
同志社初期卒業生と教会の形成
初期の同志社人と早稲田大学
初期の同志社人と東京大学
三谷隆正誄辞集
夜明けを駆ける−福祉の先導者たち−底辺にむかう志と“同志社派”−
「悲劇の日銀総裁」深井英五と新島襄の出会い−財界に進出した初期↓
京都の近代化と同志社英学校
新島襄と自由民権家の群像−新島と立憲政党の人々−
新島襄と福沢諭吉−「自治自立」と「独立自尊」のあいだ−
書簡に見る新島襄−「新島襄全集書簡編」の新収書簡を通して−
「子育て戦争」のころ
三空忌を迎えて
創建者大倉邦彦と研究所
大倉邦彦−研究所の創建とその思想−
三空忌−創建者大倉邦彦先生を偲んで−
精神文化まんだらの世界−大倉邦彦−
陰徳を積む−大倉邦彦−
旗本と所領と領民
信長をめぐる五十人
信長をめぐる五十人
信長と合戦
「植物学者」南方熊楠
「民俗学」誕生のはざまに 南方/柳田論争をめぐって
紫の粘菌譜 昭和天皇と熊楠の縁をめぐって
熊楠マンダラ 南方熊楠の宗教、哲学、科学観
南方熊楠と神社合祀反対運動
環境権運動と南方熊楠 日露戦争後経営と大正デモクラシー
失われたエチカ 南方熊楠「浄の男道」再論
南方熊楠の性愛論
熊楠伝説・断章
信長のめざしたもの
岐阜城と安土城 信長の「文」と「武」のシンボル
安土城下と楽市令
天下布武への道
フロイスの見た信長と日本
鉄砲と南蛮文化 大航海時代と日本
政略結婚と信長
織田信長を殺したもの
信長をめぐる戦国時代の群像
新島襄の人間像
一八六八年のアーモスト大学
新島襄と内村鑑三とアーモスト大学
岩倉使節団の教育調査と新島襄-「理事功程」をめぐって-
教育者としての新島襄
年齢
「若き日の日記」より
南北朝の二人の英雄−正成と尊氏

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